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【第4章】学びの保障㊤ 元校長 第2の人生 医教連携 生徒の懸け橋【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

 がんと闘いながら静岡県立磐田北高に通った寺田歩生[あゆみ]さんを校長として支えた鈴木真人さん(62)は2022年3月、同校を最後に定年退職した。30年以上に及ぶ教員生活に区切りを付け、第2の人生に選んだ仕事は、やはり生徒にささげるものだった。

支援した生徒が通う通信制高校を訪ね、近況を尋ねる鈴木真人さん(右)=1月中旬、沼津市内
支援した生徒が通う通信制高校を訪ね、近況を尋ねる鈴木真人さん(右)=1月中旬、沼津市内

 「様子が分かり安心しました」。1月中旬、JR沼津駅前のビル。鈴木さんは通信制高校つくば開成高沼津校を訪ね、支援した生徒たちの近況を聞いた。県教委から「医教連携コーディネーター」の委嘱を受け、生徒や保護者、学校、医療機関と関わりながら、病気療養する生徒が治療と学びを両立させる方法を助言している。同校には相談を受けた3人の生徒が通う。
 鈴木さんには、歩生さんとの関わりで苦い経験がある。歩生さんが1回目の1年生だった19年冬、両親から遠隔授業の実施の要望を受けた。治療による欠席日数が増え、進級が危うくなっていた。広島県では導入していて、両親には「静岡でも」との思いがあった。だが、静岡県教委は当時、遠隔授業の課題をまだ整理できておらず、鈴木さんは首を縦に振ることはできなかった。歩生さんの欠席日数は増え、規定に基づき進級を認めない判断を下さざるを得なかった。
 「今後、歩生と同じようなつらい思いをする生徒を出さないで」。母有希子さん(54)の涙ながらの訴えは、心にずしりと響いた。「苦渋だった」とは言え、学ぶ意欲がある生徒の進級の道を閉ざした判断は重い十字架となった。歩生さんが21年秋に他界した後も、ひっかかったままだった。
 鈴木さんは退職後、県立こども病院(静岡市葵区)などでつくる「小児・AYA世代がん部会」の活動にボランティアで参加し始めた。同部会は、以前から遠隔授業の導入を県教委に働きかけるなど、長期療養する高校生の学びの保障実現に向けた活動を熱心にしていた。
 県教委の要請で、制度化された県内唯一の医教連携コーディネーターに就き、この2年間で15件のケースに携わった。「生徒や家庭、学校、病院それぞれの立場や気持ちが分かる鈴木先生の存在は大きい」。同病院の看護師加藤由香さんの信頼は厚い。
 「今は自分が関わらなくても順調に遠隔授業ができている事例の方が多い。現場の先生方は丁寧な対応をしている」。謙遜しながらも、鈴木さんは支援が必要な生徒のため県内各地を東奔西走している。
      ◇ 
 寺田歩生さんの取り組みがきっかけとなり、病気療養する高校生への遠隔授業が県内に広まった。治療と学習の両立を支援する仲介者「医教連携コーディネーター」も誕生した。病気療養する生徒の学びの保障はどう変化したか、課題はないかを探る。

 メモ 県教委が制度化した医教連携コーディネーターはまだ2年目だが、コーディネーターへの相談を通じて道が開けた生徒もいる。県東部の私立高在学中に白血病を発症した男子生徒は長期入院が必要になったが、学校は遠隔授業を行っておらず進級が厳しい状況に置かれた。入院先の病院を通じて紹介を受けたコーディネーターの鈴木真人さんに相談。治療と学業の両立のしやすさの観点から薦められた通信制高校に転学した。新年度、必要単位を取得すれば、元々の同級生と同じタイミングで卒業できる。母親は「夢をかなえるための看護専門学校にも進める」と感謝する。

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