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⚽言葉から情熱ほとばしる J2藤枝 指揮官/須藤大輔【しずスポ】

3日の栃木戦で試合を見守る須藤監督=栃木・グリーンスタ(写真部・二神亨)
 言葉から情熱がほとばしる。J2昇格1年目の藤枝を率いる須藤大輔監督(46)が掲げるのは「超攻撃的エンターテインメントサッカー」。その言葉の裏には、用意周到な準備がある。熱き指揮官が抱く野望とは―。
サッカーの可能性追う藤色の「求道者」
 Jリーグ監督に必要なS級ライセンスを取得したのは38歳の時。山梨学院大サッカー部コーチの職を辞し「夢への一歩」を踏み出した。選手時代に日の丸を背負った同期が多い中で「代表経験がない自分は異端だった」。
 S級を得ても“就職先”の見込みはなかった。自宅のある甲府市で自らサッカースクールを開設し、幼児や小学生らを教える日々。その間に目標実現に向け、国内外のサッカーを研究して知識を蓄え、理論を構築した。

 サッカー観の源は甲府での現役時代、当時の大木武監督(現J2熊本監督、清水東高出)からの薫陶。ショートパスをつなぐ攻撃的戦術で2005年に入れ替え戦の末、J1に昇格。「去年の藤枝と同じで大方の予想を覆した。スタジアムが観客を魅了する劇場のようで、甲府での5年間が選手として一番成長した」と振り返る。
 ビルドアップにGKも加わり、CBが大きく開いてポジションを取る戦術の原型は山梨学院大Bチームでの指導。「選手は高い技術を持たず、心の弱さも抱えていたが、面白い戦術を提示すると個人もチームもやりがいを感じて伸びた」。
 J監督職に就けない中で、ラジオのサッカー解説に携わったのも大きかった。「見えるようにしゃべる」。学び取った言葉の大切さが今に生きている。
 ようやくJ3鳥取から要請が来たのは41歳だった18年のシーズン途中。何の実績もない監督に対し選手の反応は冷たく、最初のミーティングでは誰も目を合わせなかった。熱く語り続けてチームの信頼を勝ち取り、J2昇格まであと一歩の3位まで行ったが、妻が体調を崩して甲府に戻った。「やはり一番大事なのは家族だった」。今は単身赴任せず、自宅から毎日片道1時間半かけ藤枝まで通う。

 藤枝の指揮を執って3年目。J2を戦う中で柔軟性も身につけた。ハイプレスハイパワーを武器に開幕から連勝スタートを切ったが、主力選手の移籍もあり、7~9月に8戦勝利をつかめず4連敗を経験した。
最先端の戦術ではなく 目指すのはその先

 5人の新加入選手を迎えてもすぐに結果は出ず、チームは空中分解寸前まで行ったが、守備を再整備。ミドルブロックを敷き、態勢を整えたところからプレスをかける戦術を浸透させ、残留争いから一歩抜け出た。「現実を受け止め、選手、スタッフの意見も吸い上げる。得た情報の中から最適解を抽出するのが自分の仕事」。
 短期的な目標は「このJ2で90分間、相手を圧倒するチームをつくる」。中期的には「このクラブをJ1に昇格させる」。そして、長期的には「自分が日本代表監督になってこの国のサッカーを変える」。目指すのは最先端の戦術じゃない。まだ誰も見たことがない、その先にあるサッカーの可能性を開くこと。挑戦はまだ始まったばかりだ。
 (寺田拓馬)

すどう・だいすけ
神奈川県出身。水戸、湘南、甲府、神戸でFWとしてプレーし、2007年のカップ戦で得点王を獲得。リーグ戦通算成績はJ1出場45試合6得点、J2出場177試合35得点。10年に藤枝で現役引退した。鳥取の監督を経て21年シーズン途中から藤枝の指揮を執る。

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