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「行為」でなく「存在」肯定(蔭山昌弘/スクールカウンセラー)【思春期の心 支える力 年度末に寄せて㊤】

 不登校の子どもが「僕なんて生きていても何の役にも立たない。この世にいない方がいいんだ」と言って、カウンセリングに来ました。

(イラスト・矢野晶子)
(イラスト・矢野晶子)

 私たちはその人が何を行ったのかという「行為」によって人を評価しがちです。業績をあげる人や社会に貢献した人などを「立派な人だ」と褒めます。一方で、例えばずっと家に引きこもっていたり病気で寝たきり状態だったりして「社会的業績や貢献」をあげられずにいる人たちを、「役に立たない存在」と見てしまうのではないでしょうか。だから、不登校の子どもの「この世にいない方がいいんだ」の声が絞り出されるように思うのです。
 小学生に、どんな時に自分を好きになるか聞いてみました。「勉強ができたとき」「料理がうまくできたとき」などいくつか挙げてくれました。これを「行為による満足」と呼んでみます。ところが「勉強がよくできる」「ピアノも上手に弾ける」という高校生が話しに来て、「私なんかこの世にいない方がいい」と嘆きました。この人は「行為による満足」を十分得ているはずなのに心の奥が満足できないというのです。どうしてか聞いてみると「テストで良い点を取っても親からは『あなたは頑張ればもっとできる』と言われて褒められることがない」と言います。先生や友達から認められても親には褒めてもらえない、そのことが心の奥に引っかかっていると言うのです。
 「行為による満足」を「自我の満足」としましょう。それに対してもう一歩心の奥の満足を「自己の満足」とします。どのような行為を行ったかではなく、存在そのものを肯定する考え方です。「自我の満足」では業績をあげられなくなると自分を肯定できなくなってしまいます。一方「自己の満足」は生きていることそのものを肯定するわけですから、心の安らぎを保つことができます。では「自己の満足」とはどういう状態を言い、それがなぜ心の安らぎになるのか、次回考えてみましょう。
 (蔭山昌弘・スクールカウンセラー=静岡市葵区)

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