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常に新しいことを考え突き抜ける  夢と希望、次世代に【生き抜く】「国策と農業」

 碁盤の目に区切られた水田地帯の直線道路を車で走ると、広大な土地が視界に飛び込んできた。「ここから日本農業の未来像を示すんだ」。大潟村あきたこまち生産者協会会長、涌井徹(わくい・とおる)(75)の鼻息は荒い。協会は米の産直やパック詰めご飯の製造を手がける。涌井自身もこの村で約半世紀、米作りをしてきた。だが、「ここ」はタマネギ畑だ。10メートルを超える木が生い茂る荒れ地を、自らトラクターで切り開いた。

八郎潟を干拓した広大な農地を案内する涌井徹。「かつての闘いが私を鍛えてくれたから、感謝している。大潟村に来たのは天命だと思う」=2024年2月、秋田県大潟村
八郎潟を干拓した広大な農地を案内する涌井徹。「かつての闘いが私を鍛えてくれたから、感謝している。大潟村に来たのは天命だと思う」=2024年2月、秋田県大潟村
大潟村あきたこまち生産者協会のアレルギー工場入り口付近では、米を使った各種の麺が紹介されている=2024年2月、秋田県大潟村
大潟村あきたこまち生産者協会のアレルギー工場入り口付近では、米を使った各種の麺が紹介されている=2024年2月、秋田県大潟村
工場内の会長室にかけられた八郎潟干拓地の写真=2024年2月、秋田県大潟村
工場内の会長室にかけられた八郎潟干拓地の写真=2024年2月、秋田県大潟村
八郎潟を干拓した広大な農地を案内する涌井徹。「かつての闘いが私を鍛えてくれたから、感謝している。大潟村に来たのは天命だと思う」=2024年2月、秋田県大潟村
大潟村あきたこまち生産者協会のアレルギー工場入り口付近では、米を使った各種の麺が紹介されている=2024年2月、秋田県大潟村
工場内の会長室にかけられた八郎潟干拓地の写真=2024年2月、秋田県大潟村

 国内第2の広さを誇る湖だった八郎潟を国策で干拓し、秋田県大潟村が生まれたのは1964年。日本の「モデル農村」として、全国から集まった入植者には広い土地が与えられ、思う存分、米を作れるはずだった。
 開村から5年後、国が減反(生産調整)を始め、村内は減反に参加するか否かで二分される。涌井は反対派の急先鋒として国と闘った。
 涌井には今、口癖のように唱える目標がある。「若者が夢と希望を持てる農業を創造したい」
 ▽チャンス
 新潟県吉田村(現十日町市)の農家に生まれ、高校を出ると家業を継いだ。所有する水田は1・3ヘクタール。米だけでは生活できず、面積を増やそうにも土地はない。冬は出稼ぎに行った。「雪国で農業一本で食べていくにはどうすればいいか」。それが涌井の原点だった。
 そんな時、大潟村の入植者募集を知る。10ヘクタールの水田が配分されるという。5ヘクタールあれば、米作りで十分食べていける。「夢をかなえるチャンスだ」。倍率2・7倍の試験に合格し、1970年、一家で入植した。
 その前年、戦後一貫して米の増産を進めてきた国が減反を始める。食の多様化が進み、米余りの時代に。村にもその波が押し寄せつつあった。
 最終入植者募集のあった1974年、5ヘクタールの追加配分と引き換えに水田面積を半分とし、残りは畑にするよう求められる。「減反は緊急避難。2、3年で元に戻す」と言われ、やむなく受け入れた。
 土壌は水はけが悪く、畑作に向かない。国は、もち米栽培を2・5ヘクタールまでは畑作扱いとする救済策を提示。ところが田植えが終わると一変し、「過剰作付け」とみなして「青刈り」を迫る。米作りに生きる農家と国の長い闘いが始まった。
 ▽見せしめ
 村議会が作付面積拡大を決議すると、国と県は多数の職員を送り込み、青刈りに応じなければ田を買い戻すと圧力をかける。国が農地没収通知という実力行使に出ると、入植者らは米を植える権利を認めよと秋田地裁に農事調停を申し立てた。
 涌井は仲間と共に農協を通さない独自ルートで「自由米」の販売も始めた。県は「ヤミ米」と呼んで阻止しようとする。村内7カ所に検問所を置き、車の積み荷を調べ、米の無許可販売で3人を県警に告発した。「見せしめだったんだろう」。村は分断され、借金を苦にした自殺者も出る。
 「農協任せではなく、農家が自立して加工、販売までやるべきだ」。涌井はずっとそう考えていた。減反反対派の米を売るため、1987年にあきたこまち生産者協会を創業。米の産直は珍しく、評判を呼んだ。法律が変わり、国が農家の自由な米作りを認めたのはそれから8年後のことだ。
 「国の政策に翻弄され、苦労されてきた」。2009年、村を訪れた民主党政権の赤松広隆農相が謝罪し、わだかまりは徐々にとけた。米粉用米の生産を減反とみなす制度が始まり、村産の米粉用米を全て協会が買い取ることに。減反参加率は5割から8割に上昇した。
 ▽実験場
 とはいえ、米粉の利用は難事業だった。月100万食分の米麺を製造できる工場を造り、大都市の量販店やレストランに要望を聞き、商品を開発したものの、売れない。米の在庫は一時3千トンまで膨れ上がり、在庫の山につぶされる夢を見た。
 食物アレルギーの原因となるグルテンを含まない特徴をアピールしたところ、注文が入り始めた。ホテルの訪日客向けや東京五輪・パラリンピックの選手村に提供し、ようやく軌道に乗せることができた。
 「農業が稼げる仕事になれば、若者も興味を持つ」。人手不足を補い、知識や技術のない人も参入できるよう、人工知能(AI)技術を使った作物管理やロボットによる作業の自動化をもくろむ。
 涌井が開墾した畑は、東北地方をタマネギの一大産地にするための実験場でもある。農業・食品産業技術総合研究機構(茨城県つくば市)が協力し、栽培法の確立を目指す。「国と一緒に物事を進めるなんて、あの頃は想像もつかなかった」
 アイデアは皆で分け合う。「自分だけがもうかることを考えていたら大きな仕事はできない。常に新しいことを考え、突き抜け続ける。ひたすら一本道よ」。澄んだ空気に豪快な笑い声が響いた。

 【もっと知るために/急速に縮む農業人口】
 秋田県の農家の平均年齢は2020年時点で67・7歳。国の推計では、全国の農業人口は今後20年程度で約4分の1まで減る。涌井徹によると、離農は加速度的に進んでいるという。
 政府は2024年2月、今後の農政の在り方を示す食料・農業・農村基本法改正案を国会に提出。人口減少下でも生産を維持するため、ロボットや人工知能(AI)技術を使うスマート農業の促進を明記した。ただ、実用化にはまだ時間がかかりそうだ。
 大規模農業の利点を生かすには、農地の集約化を一層進めなければならない。涌井は「この現状を、日本の農業が方向転換するための好機として生かすべきだ」と言う。
 急速な社会環境の変化に対応しなければ、自然のもたらす豊かな恵みを未来に引き継ぐことはできない。
 (敬称略/文は共同通信秋田支局記者・斉藤林昌、写真は共同通信編集委員・今里彰利/年齢や肩書は2024年4月20日に新聞用に出稿した当時のものです)

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