安倍城址と内牧城址を訪ねる
語り:春風亭昇太
安倍川沿いの山の頂に残る安倍城址。安倍城は、14世紀前半に狩野貞長によって築城されたと考えられています。南北朝時代、南朝側についた狩野氏は、北朝側の今川氏と安倍川を挟んで熾烈な攻防を繰り広げました。
安倍城は、山の最上部の幅35メートルほどの尾根に本曲輪があり、その周囲の稜線に沿うように、小さな曲輪が階段状に配置されていました。1392年に南北朝が統一されたのち、狩野氏は、今川氏に従っていましたが、1433年、今川範政の死によって今川氏の内紛が勃発すると、それに乗じて離反し、今川方に攻められて衰退したとされます。安倍城はそれ以降文献に現れない事から、この頃に廃城になったと考えられています。
安倍城の南西の峰に築かれていたのが、久住砦です。この他にも、周囲の尾根筋に多くの出城や砦が配され、狩野氏の城砦群が形成されていました。
そのうちのひとつだった内牧城。安倍城を守るための支城で、ここに狩野氏が住んでいたと言われています。内牧城は安倍川の支流、内牧川の東岸にある、標高100メートルに満たない小山の上に配置されていました。この小山は「かなどの城山」と呼ばれ、「狩野殿の城山」がその由来と考えられています。
静岡市歴史めぐり まち噺し 今日のお噺しはこれにて。
静岡市の観光親善大使でもある春風亭昇太師匠の語りで、歴史や文化、特産品など、静岡市の魅力を紹介するミニ番組です。(毎週日曜日ひる12時54分放送)