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【徳川家康ゆかりの田中城と諏訪原城】家康が鯛の天ぷらを食べたのは田中城だった!

静岡トピックスを勉強する時間「3時のドリル」。今回のテーマは「徳川家康ゆかりの田中城と諏訪原城」。先生役は静岡新聞教育文化部長の橋爪充です。
 ※SBSラジオ・ゴゴボラケのコーナー「3時のドリル」で放送したものを編集しています。

藤枝市に家康の足跡 鷹狩目的でたびたび訪れる

(橋爪)大河ドラマで関心が集まっている徳川家康ゆかりの城をテーマにした企画展が県内の2つの博物館で開かれているので、きょうはその話をさせていただきます。

(山田)お願いします。

(橋爪)藤枝市郷土博物館では7月17日まで「徳川家康と田中城」という特別展をやっています。現在の藤枝市にあった田中城と藤枝宿に残された足跡や、かつて山西と呼ばれていたいわゆる志太地域との関わりについて、さまざまな史料が展示されています。

(山田)静岡県だと浜松市と静岡市が家康色が強いですが、藤枝も関わってるんですね。

(橋爪)そうですね。最初に田中城がどういう城かということを説明させていただきます。田中城は形状がすごく特徴的で同心円状なんです。四重の堀があって、それが円状に外側に広がっています。日本で唯一の形状だということでした。

(山田)確かに円形って珍しいですね。

(橋爪)上空から撮った写真を見ると見事に円形になっています。元々は今川氏の命を受けた一色氏という土豪が1500年代に城を造ったんですけれども、1570年に武田信玄がそれを攻略しました。その城を家康が攻めたという流れになっています。

家康が攻めた当時の武田方は勝頼になっていましたが、なかなか攻め落とせず、7年半にわたって5回以上攻めてやっと開城させたそうです。壮絶な争奪戦を武田軍と繰り広げた城だということでした。

(山田)藤枝にそんな歴史があったとは。

(橋爪)家康とこの城の縁は主に3つあります。1つは武田方との攻防戦。この展覧会ではオリジナルアニメを制作していて、館内で見ることができるんですよ。素晴らしい出来で、難攻不落と言われていた田中城を巡る攻防というのが色鮮やかに描かれています。

(山田)ちょっと見たいですね。

(橋爪)制作したクリエイターの方も静岡に縁のある方です。静岡新聞で2015年から2021年まで4編掲載した安部龍太郎さんの「家康」という小説があるんですけれども、その挿絵を手がけてらっしゃった御前崎市出身のイラストレーター永井秀樹さんが絵を描いています。脚本は藤枝市出身の絵本作家ふくながじゅんぺいさんです。

家康との関わりの2つ目は、江戸幕府が開府して以降の話です。家康は鷹狩をするために何度もこの地を訪れていて、田中城に立ち寄っていたそうです。15回ぐらいは来てるという話
でした。

(山田)すごい来てますね。

体調崩した原因は田中城で食べた鯛の天ぷら?

(橋爪)3つ目は有名な話との関連です。家康は亡くなるとき、鯛の天ぷらを食べたって話を聞きませんか。

(山田)聞きますね。

(橋爪)それを食べた場所が田中城らしいんですよ。

(山田)そうなんですか!?

(橋爪)1616年の1月に鷹狩を楽しんで当時関西で流行していた鯛の天ぷらを食べたら腹痛を起こして体調を崩したという成り行きが展示の中で紹介されていました。

(山田)全然知らなかったです。勝手に駿府城かなと思ってました。

(橋爪)体調悪くした場所は田中城のようですね。実際亡くなったのは4月なので、それから3ヵ月後ということになります。

今回の展覧会では鯛の天ぷらを含めた御膳が再現されていました。静岡市の成沢政江さんという郷土史研究家が監修したようで、鯛の天ぷら、すりおろしたニンニク、よもぎの天ぷら、茅を油で揚げ焼きしたものなどがありました。

(山田)ちょっと脂っこそうですね。

(橋爪)そうなんですよ。75歳だった家康にとっては脂っこいものばっかりだなという印象ですね。諸説あるんですが、それが胃に負担をかけたんではないかとの指摘もあるという説明書きもありました。

(山田)真相はいかにっていう感じですね。この特別展は7月17日までということですから、お早めにという感じですね。

天然の要害 武田流築城術の傑作・諏訪原城(島田市)


(橋爪)もう1つは島田市博物館で7月1日に始まった諏訪原城展です。9月24日までやっているので、夏休み中に出かけるには非常にいいんじゃないかなと思います。

諏訪原城は武田勝頼が1573年に築いた城で、現在の掛川市にあった徳川方の高天神城を攻略するために造られたと言われています。ただ、1573年にできて1590年には廃城になっています。つまり17年しか存在しなかったという話なんです。

(山田)伝説の城ですね。

(橋爪)完成から2年後には徳川方が奪うんですけど、名前を牧野城と変えます。なので諏訪原城と呼ばれている期間は非常に短いんです。今回の展示ではそのあたりの経緯が古文書や史料などで説明されています。甲冑もあって当時の雰囲気がとてもよく分かるようになっています。

展示は4章仕立てになっていて、第1章が今川氏の滅亡。第2章は武田と徳川の国盗り。第3章は諏訪原城の軌跡。第4章は牧野城とその後。この時代、今川、武田、北条、徳川がいろいろなエリアで味方になったり敵になったりなったりとかしていて分かりにくいなと思っていたんですけど、この展覧会の説明を見たら一発で理解できました。

(山田)それぐらい分かりやすいということですね。

(橋爪)なぜ諏訪原城と名付けられたのかも不思議じゃないですか。

(山田)確かに諏訪って長野ですよね。

(橋爪)自分も知らなかったんですけど、諏訪大社の祠をこの城の中に入れて設置してるんですよ。これは武田勝頼の出自に関わることなんですが、この辺の丁寧な時代背景の説明は今川氏のことから語らないと分からないんです。私がここで説明しようとすると、かえって分からなくなるので、ぜひ見に行っていただきたいですね。

(山田)歴史に詳しくない方でも大丈夫ですか。

(橋爪)時代の区分においての勢力図がとても分かりやすく説明されているのでおすすめです。展示の結びでは「武田流築城術の傑作」と言い切っています。江戸時代の浮世絵にも「武田信玄公出城跡」と案内されているので、観光名所だった可能性があるんじゃないかなっていうふうに見てます。

(山田)諏訪原城のことにも興味が湧いてきました。今ちょうど築城450年記念で展覧会をやっているということですね。

(橋爪)天然の要害と言われてるようなので、山城好きにはたまらないですね。

(山田)夏休みの自由研究とかにもいいですね。今日の勉強はこれでおしまい!

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