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【なにぶん歴史好きなもので】家康が築いた正体不明の陣城!小笠山砦のミステリーとは?

まるでオーパーツ?小笠山砦がどうにも気になる

今月スタートした新コラム「なにぶん歴史好きなもので」。第2回目は前編に続いて、好評配布中のパンフレット「家康読本」シリーズを制作した戸塚和美さん(掛川市観光交流課)へのインタビュー後編。前編では高天神城(たかてんじんじょう)にまつわるミステリーを伺いましたが、どうやら他にも気になるお城があるようで……。

イラスト/たたらなおき
聞き手/鈴木淳博(静岡新聞社編集局出版部)
 

徳川家康は、実は城攻めが得意?

――よく徳川家康は「野戦が得意で、城攻めは苦手」と評されますが、あれって実際、どうなんでしょう。

戸塚:決してそんなことはないと思いますけどね。確かに掛川城は落とすのに半年ぐらいかかってますが、戦略上、当時の包囲戦として間違ったことをしていたわけではありません。
どちらかというと、相手が今まで仕えていた今川氏真だったから、あまり乱暴に攻められなかったという理由の方が大きいのではないでしょうか。とにかく街道沿いに砦を作って、相手の補給ルートを断つという点では、掛川城攻め、高天神攻めともに一貫しています。

掛川の城郭に詳しい戸塚和美さん


――横須賀城と家康の関係についてはどうですか。

戸塚:横須賀城は今でこそ、玉石積みの石垣で築かれた近世城郭の姿をしていますが、もともとは武田に奪われた高天神城を奪還するために、家康が兵站(へいたん)基地として築いた城でした。
実は戦国当時は小笠山(おがさやま)の南側一帯って、ラグーン(浅い海)が広がっていたんですよ。高天神城を包囲する陣城(じんじろ)を維持するべく、家康はこれらの水上交通を活用することを思いつきました。まず馬伏塚(まむしづか)城(袋井市)を築き、岡崎の城山(袋井市)、そして横須賀城を築いて、強固な物資の輸送ルートを作り上げたんです。

――今の大東・横須賀あたりが海だったというのは、なかなかイメージしにくいですね。

戸塚:高天神を包囲する砦の中で、最も南にある中村(山)砦という陣城があるんですが、この付近には菊川入江が広がっていて、海とつながっていたと考えられています。横須賀城から運搬された物資は、一旦、この中村(山)砦に搬入され、そこから各砦へと送られていたのでしょう。いわば、現代の物流センターに近い役割を担っていたのだと思います。

徳川家康は高天神城を包囲すべく20カ所の砦を築いた(戸塚さん提供)

小笠山に残る謎の砦

――砦といっても、戦うための施設ばかりではないんですね。

戸塚:高天神城の周りも当時は湿地帯で、家康は島のように浮かぶ陸地のほとんどに砦を築いています。実際、いくつかの砦は高天神城からも見えるんですよ。籠城(ろうじょう)する武田軍からは、徳川の砦から立ち上る煮炊きの煙なども見えていたと思います。補給ルートを遮断され、だんだんと食料がなくなっていく籠城兵にとっては、きつい光景だったんじゃないでしょうか。
家康にしてみれば、そういった心理的なプレッシャーをかける狙いも当然、あったのでしょう。間道を押さえるための砦、敵を監視するための砦、物流センター的に役割を果たす砦など、それぞれの機能を持った砦を有機的に連動させたことが、高天神城奪還の大きな要因になったのだと思います。

――なるほど。砦同士の関係にも注目すると、よりお城を見るのが面白くなりそうです。今でも見学できる砦ってあるんですか?

戸塚:砦跡の多くは草むらになったり、改変が著しかったりして、あまり状態はよくないですね。ただ、その中で群を抜いて保存状態がいいのは「小笠山砦」。高天神城の北側、小笠山の山頂付近に築かれた砦ですが、ここにはなんと高天神城と同じく大規模な横堀があるんですよ!これはもう、陣城の領域を超えてます。なんでこんなに大規模な砦が、あんな山の中にあるのか、今だに謎なんですけど。

小笠山砦の横堀(戸塚さん提供)


――またミステリーですか(笑)

 この小笠山砦は、北に掛川城、南に高天神城を望める絶好の場所に築かれた砦です。もともとは永禄12年(1568)の掛川城攻めの際に家康が作ったのですが、その時はおそらくそこまで大規模な施設ではなかったはずです。天正期の高天神城奪還戦の際、家康が再度、改修を行い、現在見られる縄張になったのだと考えられます。ただ、当時の徳川の築城技術を考えると、かなり手の込んだことをやってるのが、どうにも違和感があって。武田の援軍に備えてということもあったんでしょうが、あの山の中で大規模な戦いが起こるとも考えにくいですし。

――ちょっとオーパーツ的な感じがあるということですね。

 ええ、まさしく。埼玉県に杉山城っていうめちゃくちゃ技巧的で手の込んだ縄張をした、城マニア垂涎の山城があるんですが、いつ作られたのか、なんであの場所にあるのか、あんまりよくわかってないんですよ。あの感じにちょっと似ているというか。この辺りは今後の自分の課題ですね。標高の高い場所の城跡をいろいろ見ていくと、もしかしたらなにか傾向が見えてくるのかもしれません。

――「家康読本」第4弾に期待ですね。

そうですね。みなさんからのリクエストがあれば、の話ですが(笑)。城単体ではなく、小笠山全体を深掘りすると、もっといろいろな魅力が見えてくると思ってます。

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◆戸塚和美さん
1961年生まれ。明治大学文学部史学地理学科考古学専攻卒業。専門は中近世の城郭と墓。掛川市教育委員会社会教育課文化財係、図書館、二の丸美術館などを経て現在は掛川市観
光交流課調整官。著書(分担執筆)に「静岡県の山城を歩く」(サンライズ出版)、「静岡県の歩ける城70選」(静岡新聞社)など。

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