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家康、浜松城時代の痛恨事…愛妻と愛児を殺さざるを得なかった「築山殿事件」の真相

静岡にゆかりが深い戦国武将・徳川家康を主人公にした今年の大河ドラマの時代考証を担当している小和田哲男・静岡大名誉教授が5月15日、浜松市内で「おしえて!家康 おしえて!浜松」と題して講演しました。その模様を要約し、5回にわたって紹介します。第3回目のテーマは「浜松城時代の家康の痛恨事『築山殿事件』」です。

織田か武田か 苦渋の選択

浜松城時代の家康にとって最大の痛恨事が築山殿事件。あるいは信康事件とも言います。築山殿事件は、家康の正室の瀬名(築山殿)が武田信玄の息子の武田勝頼と内通しているということで殺されます。さらに、築山殿と家康の間に生まれ、当時岡崎城の城主を務めていた松平信康が切腹させられます。自分の愛妻と愛児を殺さざるを得なかったというのが浜松城時代の出来事でした。

これについても新説が出てきています。織田信長の娘で信康の正室だった五徳姫が、父である信長に「信康と築山殿が武田と内通している」と訴えたというのが従来の通説になっていました。最近の研究では、信長に訴えたということが本当かどうかはわからないというところになっています。

現在のところ、酒井忠次、石川数正の両家老や、後に徳川四天王と言われる本多忠勝、榊原康政、井伊直政を含めた浜松家臣団と、岡崎に残してきた長男・信康の家臣団とのあつれきがあったのではないかということを言う人がかなりいます。

家康は徹頭徹尾、信長との同盟にすがっていた。ところが、築山殿と信康は信長と手を切って、勝頼と手を結んだ方がいいんじゃないかと考えたという対立があったという考え方です。つまり織田路線か武田路線か。まさにこの時期、苦渋の選択が行われていたということになります。

 

あわせて読みたい!「おしえて!家康 おしえて!浜松」

第1回:若き家康は、なぜ出身の岡崎から“浜松”を選んだのか
第2回:家康、生涯最大の敗北…「三方ヶ原の戦い」に新説!
第3回:家康、浜松城時代の痛恨事…愛妻と愛児を殺さざるを得なかった「築山殿事件」の真相
第4回:家康は“強い”戦国武将だったのか?実は城攻めが苦手だった!?
第5回:「家康と築山殿に恋愛結婚はありえない!」それでもドラマにNGを出さなかったワケ  
<小和田哲男 静岡大名誉教授>
書籍・講演・メディア出演などを通して戦国史のおもしろさを発信。数多くの大河ドラマの時代考証や歴史番組での解説を担当。SBS学苑では「日本史探訪」などで講師を務め人気を博している。YouTubeでは「戦国・小和田チャンネル」で自身の研究などを動画で配信中。

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