臨済寺と徳川家康のお噺し
竹千代と呼ばれていた少年時代の徳川家康は、駿府で今川氏の人質となり、ここ臨済寺で学びました。
竹千代が岡崎城主の身分のまま、今川義元が治める駿府に送られたのは、8歳の時。今川氏を支えていた臨済寺の住職太原雪斎(たいげんせっさい)は早くから竹千代の才能を見出し、勉学の手ほどきをしました。
今川義元は将来自分を支える有力な武将に育つことを期待して、竹千代を教育したのかもしれません。
大内氏が治める山口、浅倉氏が治める福井一乗谷とともに、戦国三大文化都市として栄えた当時の城下町駿府。ここにくらし、臨済寺に学び住職太原雪斎と出会ったことが、のちの天下人徳川家康の礎を築きました。
数々の戦火に見舞われた臨済寺で開山当時から唯一残っているこの階段を渡った先に「竹千代手習いの間」が復元されています。
武田と今川の戦で焼けてしまった臨済寺の再建を果たしたとき、徳川家康はどんな思いをめぐらせたのでしょう。
静岡市歴史めぐり まち噺し 今日のお噺しはこれにて。
静岡市の観光親善大使でもある春風亭昇太師匠の語りで、歴史や文化、特産品など、静岡市の魅力を紹介するミニ番組です。(毎週日曜日ひる12時54分放送)