今川義元のお噺し
語り:春風亭昇太
優れた領国経営能力で駿河の国を繁栄させるとともに、軍事力、外交力で領地拡大を果たし、のちに「海道一の弓取り」とも呼ばれた今川義元。
若い頃の義元と思われる木像が清水区北矢部の新定院に残り、その力がこの地域にも及んでいたことが伺えます。
安倍川上流の梅ケ島にあった金山は、今川氏の重要な財源となっていました。「京都御用」のため、義元が梅ケ島から金を徴収したことを示す資料が残され、義元の京の都との関わりの深さを感じさせます。
戦の場で、大将の居場所を知らせる馬標。今川軍の馬標は、静岡浅間神社に祀られる木花咲耶姫の櫛の形に由来すると言われ、浅間神社の加護を願って使っていたものと見られています。
義元は、桶狭間の戦いの2か月前にも静岡浅間神社に装を寄進していました。出陣を前にした義元が戦勝を祈願してこれを贈ったのかもしれません。
今川義元と織田信長の運命を大きく変えた桶狭間の戦いは、戦術を学ぶための日本陸軍の研究材料にもなりました。
明治の頃、軍事の研究のために描かれたと見られる図には、桶狭間の戦いに関わる城郭や戦場、そして今川、織田両軍の動きが記されています。
義元の死後、息子氏真が数年に渡って駿河・遠江の地を治めていたことを示す資料も残されていますが、やがて戦国大名としての今川家は力を失っていきました。
静岡市歴史めぐりまち噺し今日のお噺しはこれにて。
静岡市の観光親善大使でもある春風亭昇太師匠の語りで、歴史や文化、特産品など、静岡市の魅力を紹介するミニ番組です。(毎週日曜日ひる12時54分放送)