語り:春風亭昇太

静岡市葵区にある臨済宗の寺 富春院(ふしゅんいん)。ここに今川義元の供養塔が今も残されてます。
戦国時代に駿河と遠江を統治していた今川義元は、永禄3年(1560年)、桶狭間の地で、織田信長の奇襲にあい、討ち死にしました。その亡骸は、かつて富春院の隣にあった天沢寺(てんたくじ)に葬られ、後に天沢寺が廃寺となると、その墓と木像は臨済寺に移されました。今川家の菩提寺であった臨済寺では、義元の命日である5月19日に、今も毎年法要が行われています。
今川義元の時代の駿府で徳川家康は竹千代と呼ばれた少年時代を過ごしました。当時の義元と竹千代との関係を物語るとされているのが、静岡浅間神社に残る「紅糸威腹巻」。元服する竹千代にこの腹巻を贈った義元は、やがて自分を助ける武将に育ってくれることを期待していたのであろうと推察されています。
この義元と家康の思い出の品が、数世紀の時をさかのぼり、当時の姿で再現されました。その頃と同様に糸は天然の染料で染められ、職人の手作業でおよそ4年半をかけて作られた色鮮やかな紅糸威腹巻。2023年、1月に、グランドオープンした静岡市歴史博物館でその姿を見ることができます。
武将としての第一歩を踏み出す「着初めの儀式」でこれを身につけた竹千代を義元はどんな思いで見ていたことでしょう。
静岡市歴史めぐり まち噺し 今日のお噺しはこれにて。