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日本最古のデニムを作っていた!? 民間企業として日本初の作業服製造会社「山本被服 株式会社」

日本初!? 100年前にデニムオーバーオールを作っていた「山本被服 株式会社」

カメラマンの望月やすこさんに、取材中に出合った身近にあるけど、「へ〜〜」な求人情報を紹介してもらう本企画。今回は、駿東郡清水町にある「山本被服 株式会社」をご紹介いただきました。
※11月18日にSBSラジオIPPOで放送したものを編集しています。
山本被服製造所

1926年、山本被服株式会社前身、「合資会社山本被服製造所」創業時

望月:今回は、取締役の山本陵さんに話をうかがったんですが、こちらは企業向けの作業服を作っている会社なんです。しかも日本初の「作業服製造会社」!(日本で初めて民間企業が作業服を工業的に製作。/大阪被服組合新聞調べ)

牧野:そんな会社が静岡県内にあるんですか?

望月:創業は戦前からで、現在作業服では県内トップシェアなんです。しかも、日本で最初にデニムを作った会社でもあるそう。 100年前、日本最古のデニムですよ!(編集部注:「日本最古のデニム」については諸説あり)

松崎町からロサンゼルスへ

望月:まずは会社の歴史から。1900年代、今から約100年前の明治の終り頃、山本陵さんのひいひいお爺さん(高祖父)の彦太郎さんは、松崎で馬や牛を売り買いする仕事をされていたんです。ところが、台風の水害で財産である牛馬をすべて失ってしまい、家族を抱え、途方に暮れることに……。そこで彦太郎さんは、松崎町から出稼ぎに行こうとロサンゼルスに渡ったんです!

牧野:100年前に松崎町からロサンゼルスに行ったんですか! すごい勇気!

望月:船で渡米するにも、当時は1カ月くらいかかる時代ですからね。彦太郎さんは、ロッキー山脈の近くで炭鉱夫として働き始めました。最初は家族に仕送りをしていたのですが、わずか半年で仕送りが途絶えて、奥さんのゑきさんは困ってしまった。安否もわからないので、一大決心したゑきさんは、子どもを両親に預けて自身も渡米することに。

アメリカで再会した彦太郎さんは、現地に慣れず、すっかり意気消沈しやる気を失っていました。これはマズいと思ったゑきさんは夫を励ましつつ、自分は洗濯婦として働きました。夢中で働いたらあっという間に10年が経過、ゑきさんも早く子どものいる日本に帰りたいわけじゃないですか。

そんなある日、炭鉱夫が着ている作業着を見て、これを日本に持ち帰ったら当たるんじゃない!? と思い、まず持って帰る前に勉強することにしたんです。アメリカの炭鉱夫の作業着がデニムのオーバーオールだったので、それを分析して、同じクオリティーのものが手作業で作れるようになっていて。それで、「スターオーバーオール」と名付けて、現地の炭鉱夫に売り歩いたそうなんです。
スターオーバーオール

1923年、ロサンゼルスにて

そうしたら、どんどん評判になって、1923年(大正12年)にロサンゼルスで「スターオーバーオールコーポレーション」を設立しちゃったんです! それが上手くいったので、3年後に帰国し、沼津で「山本被服製造所」を設立した、というわけなんです。
ベスト作業服

1948年ころ製作された印刷物

日本で酪農家や農家向けにデニムの作業服の販売を始めたら、素材も技術もアメリカ仕込みで大評判になり、あっという間に大きな工場をたてるまでに成長!

牧野:すごいことになってますよ! これは、もっと発信したほうがいいですね!
ミシン

アメリカから持ち帰った手回し式のシンガー社製ミシン。製品製造に使っていた工業用ミシン同様、池に布で包んで入れて戦火を逃れたのだそう

望月:ところがその工場が空襲で全焼して……、でもこの時のゑきさんの行動がまたすごくて、「ぜんぶ燃えちゃう!」となった時、ミシンをくるんで池の中に沈めたそうなんです。それを戦後に引き上げて、その一台のミシンをもとに、また工場を再建して今の姿になったと! 戦後の頑張る女性としてクローズアップしてもらいたいくらいです。

今では、有名企業の作業服も手掛ける全国トップクラスの作業服会社になって、中国にも工場があります。年間で1000種類以上の作業服を作っています。作業服というのは、会社によって素材もデザインも違うから、いわゆる流れ作業的には作れなくて、一人で全行程をやることもあり、そんなに数ができるものじゃないんです。それなのに、1カ月の製造枚数は2500枚くらいというんですから、これは相当すごいらいしいです。

有名企業の作業服も手掛ける

牧野:私たちが知っている企業も採用していたりするんでしょうか?

「ホンダ」の作業服

望月:例えば、「ホンダ」の作業服の約9割を、山本被服が作っています。その数なんと年間40万点。面白かったのが、「ホンダ」の作業服のほとんどすべてが「白」なんですって。かっこよくてホンダイズムがあらわれていて、ようするに「汚れがつくのは動きにムダがあるから、作業服は白で」という、創業者・本田宗一郎さんのこだわりがあるから、全部いまでも「白」なんです。

牧野:社員の心掛けを変えるための作業服になっているわけですね。作業のための作業服じゃない!気持ちを変える作業服だ!(笑)

望月:いいこと言う~!

「花王」の作業服

望月:これが「花王」の場合だと、作業服が、難燃という燃えにくい素材でできているんです。これは、工場でポリエステルなどが溶けたときに、肌に火傷をおわないようにこの素材を使っているんです。布だけじゃなく、縫い糸も、ボタンも、タグも、ファスナーも全部、難燃素材でできているそう。

「リコー」の作業服

望月:「リコー」は自動車部品を作っていて、今は、電気自動車になってきているじゃないですか。電気自動車の部品は半導体を使うので、ちょっとパチっとするだけで使えなくなっちゃうから、静電気を逃がすことが大事なんです。だから、帯電防止の作業服になっているんです。作業服に電気を逃がす素材のタテの線が通っていて、カミナリを逃がす技術みたいになっているんです。

牧野:聞けば聞くほど、企業ごとに工夫が必要なのがよくわかります。

望月:防汚加工や、吸汗速乾、最近はオシャレな作業服が増えてて、ダボダボではなくスタイリッシュな服も多く、タテヨコによく伸びるストレッチ機能がついていたりもします。他にも、切削防止、耐薬品加工、低発塵など。とにかく、寒くないように、暑くないように、防水もあるスーパーマンみたいな素材でできてるんですよ。

牧野:そんな服なら普段から着たいです!

望月:ほんと、普段着みたいに超カッコいいんです! 昔は作業服って、そんなに見た目が重要ではなかったですが、今は学校の制服がおしゃれだと受験生が増えるみたいな感じで、カッコいい作業服に変える企業が増えているんです。

牧野:聞いたことあります。じゃあ、山本被服さんのものを使えばいいんですね!

望月:そう!カタログを見せてもらったらファッション誌みたいなんです。私には関係ないかなと思いつつ聞いてみたら、山本被服では、普通の会社でも50枚から作れるそうですよ。

「スターオーバーオール復刻プロジェクト」

スターオーバーオール復刻プロジェクト

復刻されたスターオーバーオール

望月:そんなステキな山本被服さんでは、創業100周年を控えた今、日本最古のデニム「スターオーバーオール復刻プロジェクト」が進行しています。

牧野:日本最古のオーバーオールを蘇らせるんですか! どんなデザインですか?

望月:ワークパンツならではの3本針のトリプルステッチ。糸が3列並んでいて、糸の太さも20番手以上。かなり太い糸で強度抜群。バックスタイルは、サスペンダー仕様で、ボタン止め。

牧野:写真を拝見すると、所ジョージさんがバイクをいじるときに着てそうなデザインで、オシャレですね!

望月:コバステッチと呼ばれる「端ミシン」がかけてあって、強度も出るし、デザイン性も高くてすごくカッコイイ! 胸にはもちろん、創業当時の「スターオーバーオール CO.」のロゴマーク入りのタグがついています。11月15日からクラウドファンディングで限定100枚の募集を始めたところ、早々に定員に達したのだそう。今後の展開がとても楽しみです!

山本被服さんではもちろん求人募集もしていますので、検索してみてください!

牧野:日本最古のオーバーオールを作っていた会社といったら、働きたい人はいっぱいいるんじゃないですか。何より、山本被服株式会社、世界に発信していきたい! 今回は、ありがとうございました!

DATA

■山本被服 株式会社

住所:駿東郡清水町卸団地163
TEL:055-971-5533

会社情報
 
今回、お話をうかがったのは……望月やすこさん
静岡県内を中心に子どもの撮影や取材撮影をするフリーカメラマン。撮影歴は25年。著書「子連れのタダビバ」シリーズ(静岡新聞社)や、朝日新聞エムスタ「望月やすこの#撮りテク」連載などの執筆から、テレビ・ラジオの出演など様々なメディアで活躍。

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