
旭姫(朝日姫)ゆかりの瑞龍寺を訪ねる
語り:春風亭昇太

静岡市葵区井宮町にある瑞龍寺(ずいりゅうじ)。ここは、豊臣秀吉の妹で、徳川家康の2人目の正室となった旭姫(朝日姫)ゆかりの寺です。
天正12年、1584年に、秀吉と家康が対決した小牧・長久手の戦い。秀吉は圧倒的な兵力を持ちながら、長久手の局地戦に敗れました。自分に服従しない家康に手を焼いて秀吉が取った奇策が妹の旭姫を家康に嫁がせ、義兄弟となる事だったのです。
旭姫は、天正14年、1586年に家康の正室となったのちわずか4年で亡くなりました。滞在していた京都に埋葬されましたが、分骨された旭姫の墓がここ瑞龍寺の境内に残ります。
自らの天下取りのためにその人生を変えることになってしまった旭姫を思い、兄、秀吉は、小田原征伐の帰りに瑞龍寺に立ち寄り、蒔絵膳や朱印状を与えました。駿府で過ごした大御所時代の家康も旭姫を弔うために、たびたび瑞龍寺を訪れていたと伝わります。家康は、旭姫の遺品である、桐沢潟立湧模様小袖内敷(きりおもだかもんたてわくもようこそでうちしき)を瑞龍寺に納め、釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)と十六羅漢絵像(じゅうろくらかんえぞう)を寄進しました。
また家康をはじめ、歴代の徳川の将軍が瑞龍寺に16 石の領地安堵朱印状(りょうちあんどしゅいんじょう)を与え、この寺を庇護しました。本堂の天井画「駿河龍神」は、瑞龍寺の開創460 年と旭姫の没後430年の節目の年に制作され、奉納されたものです。政略結婚で、正室となった旭姫が夫、家康と過ごしたのはわずか2年であったと言われますが、駿府に暮らし、駿河御前と呼ばれた旭姫は、家康と同じ、駿府の地に眠っています。
静岡市歴史めぐり まち噺し 今日のお噺しはこれにて。
静岡市の観光親善大使でもある春風亭昇太師匠の語りで、歴史や文化、特産品など、静岡市の魅力を紹介するミニ番組です。(毎週日曜日ひる12時54分放送)