語り:春風亭昇太

17世紀初めに現在のタイであるシャムのアユタヤ王朝で活躍したとされる山田長政。長政の生涯には諸説ありますが、1590年ころ、駿府馬場町の染物店に生まれたというのもそのひとつ。
長政が20歳くらいの頃、徳川家康が大御所政治を行っていた駿府のまちは活気づいていました。外交戦略の中枢が置かれたこともあって、豪商たちはこぞって船を仕立てて海外に渡っていました。夢を抱いた長政は、駿府の豪商の船でシャムに渡ったといいます。
そのころシャムの首都、アユタヤは、東西各国の貿易船が行き交う国際商業都市でした。ここで、長政は、貿易商人として活躍し、アユタヤ日本人町の頭領になりました。
さらに、戦術家としても実力を発揮した長政は、日本人傭兵部隊を率いて、スペイン艦隊を破るなどして、国王から全幅の信頼を寄せられ、ついには、タイ王朝の最高の官位とも言われる「オークヤー」にまで出世したとされます。
1626年、 長政は己の立身出世の大願成就に感謝して、ふるさとの静岡浅間神社に「戦艦図絵馬」を奉納しました。こうしたつながりから日・タイ友好を目的に始まった「長政まつり」では、山田長政戦艦図絵馬奉納行列」と題して、その絵馬を模した 神輿を担いだ人たちが、商店街を練り歩きます。山田長政は、400年たった今でも、遠く離れたタイの国と静岡とをつなぐ友好のかけはしであり続けています。
静岡市歴史めぐり まち噺し 今日のお噺しはこれにて。