
山岡鉄舟ゆかりの地を訪ねる
語り:春風亭昇太

静岡市の中心街、伝馬町。ここに、明治維新にゆかりの場所があります。
慶応4年(1868年)3月9日、官軍を率いて江戸に向かう途中の西郷隆盛と、徳川幕府の命を受けた、山岡鉄舟が会見し、15代将軍・徳川慶喜の処遇や江戸城の明け渡しなどについて話し合われたのが、この場所でした。この話し合いによって、江戸城の無血開城が実現したと言われています。この会談が行われる2日前、山岡鉄舟は、さった峠で官軍に追われ、由比と興津の間の宿にあった、望嶽亭藤屋に逃げ込みました。漁師に変装し、海から小舟で脱出したと伝えらえています。
明治維新ののち鉄舟は、徳川家達とともに江戸から静岡に移り住み、清水の次郎長と深い関わりを持ちました。清水港で起きた咸臨丸事件では、多くの旧幕府軍の兵士が命を落とし、次郎長と子分たちはその亡骸を海から引き上げて丁重に埋葬しました。鉄舟は、新政府軍に臆することのない次郎長の心意気に心を打たれ、兵士たちの墓のために「壮士墓」の文字を揮毫しました。梅蔭寺に残されている鉄舟の書、「精神満腹」。鉄舟は自身の信条であるこの言葉を次郎長に贈りました。
飛鳥時代に開創された久能寺を始まりとするこの寺は、明治維新の頃には荒廃してしまっていましたが、鉄舟によって、明治16年に、再興されました。寺号を鉄舟寺と改めたこの寺の伽藍が完成するのを見ることなく、明治21年、山岡鉄舟は53歳でこの世を去りました。次郎長も子分総出で、その葬儀に駆け付けたといいます。
静岡市歴史めぐり まち噺し 今日のお噺しはこれにて。
静岡市の観光親善大使でもある春風亭昇太師匠の語りで、歴史や文化、特産品など、静岡市の魅力を紹介するミニ番組です。(毎週日曜日ひる12時54分放送)