語り:春風亭昇太

江戸時代、駿府には、城の警備にあたる「加番」と呼ばれる職が置かれ、一番から三番まで3つの加番がありました。加番の屋敷には、警護にあたる武士が江戸から赴任し、屋敷の敷地内には、守護神として、加番稲荷神社を祀るようになりました。当初、紺屋町にあったとされる一加番屋敷は、やがて現在の静岡市葵区鷹匠に移され、ともに移された一加番稲荷神社が今もこの地に残っています。
二加番屋敷があった葵区西草深に鎮座する二加番稲荷神社。境内には、天保15年(1844年)に奉納された石灯篭が残されています。
葵区東草深に残るのが、三加番稲荷神社。慶安4年(1651年)、三加番が新たに設けられ、鎮守社として創建されたのがその始まりとされます。寛永8年(1631年)に駿府城主だった、徳川忠長が蟄居した際に、駿府城の城外守衛として、2つの加番が設けられました。
その20年後に起こったのが、由井正雪の乱。由井正雪が幕府の転覆をはかった事から城外警備が重要視され、新たに三加番が増設されたのでした。明治維新後に加番は廃止されましたが、3つの加番稲荷神社は地元の氏神としての存続が許され、今に残っています。
静岡市歴史めぐり まち噺し 今日のお噺しはこれにて。