
室町時代に創建された梅蔭禅寺(ばいいんぜんじ)。ここに眠るゆかりの人物が、清水次郎長です。江戸の末期、海道一の大親分と言われ「清水に次郎長あり」と、その名が轟いていました。
境内にある「侠客次郎長之墓」の文字は幕臣で維新後は明治政府の大臣を歴任した榎本武揚(えのもとたけあき)によって書かれ、妻の3代目お蝶、子分の大政、小政も共に眠っています。
若い頃は、喧嘩や博打に明け暮れていた次郎長でしたが、山岡鉄舟など当時の日本を支えていた人々との関わりの中で、地域貢献に目覚め、清水港の発展に尽力しました。梅蔭禅寺の境内には、次郎長資料館があり、火縄銃や喧嘩頭巾など、次郎長ゆかりの品々が展示されています。
渡世人の世界から足を洗い、新しい時代の清水のために、地域を支える実力者として奔走した、清水次郎長。73歳で亡くなった時には、数千人の参列者が梅蔭禅寺を取り囲み、その死を悼んだといいます。
静岡市歴史めぐり まち噺し 今日のお噺しはこれにて。