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【静岡の高校サッカー戦後史Vol.6】浜松西高が“創部5年の快挙”を成し遂げた日

【浜松西高㊦】創部5年で初の全国へ

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。

愛知国体に出場し、記念撮影をするメンバー(浜松西高サッカー部創部50周年記念誌から)


1950年(昭和25年)9月に行われた県予選で、浜松西は沼津商、静岡城内、磐田南を次々と倒して決勝に進出した。相手はまたも浜松北だった。

前年の三遠大会決勝と同様、前半に先制点を奪われた。だが、後半に盛り返し、2-1で逆転勝ちして中部予選に進んだ。

韮崎(山梨)、県ケ丘(長野)を撃破

1カ月後の中部予選は前年までと異なり、静岡、山梨、長野3県で争われた。リーグ戦形式の初戦。待ち受けていたのは静岡県勢が何度も涙をのまされてきた韮崎(山梨)だった。

浜松西は難敵相手に大奮闘。0-0で突入した延長前半、PKを脇本善男ががっちり決め、後半にも1点を加えて2-0で競り勝った。勢いに乗って臨んだ第2戦は、県ケ丘(長野)を寄せ付けず、2-0で退けて初の全国行きを決めた。創部5年目の快挙だ。

「ことしが最後の年。ことしを逃せば、二度とチャンスはないと心に決めていた」とは、山本の5年計画最後の決意であり、その思いを「サッカー王国静岡・その六十年の歩み」(静岡新聞連載)で吐露している。

愛知国体で修道(広島)と対戦

国体本番は愛知県が舞台だった。初戦の相手は修道。2年前、浜松北が準決勝で苦杯をなめさせられた広島高師付と同じ広島代表であり、やはり前評判は高かった。

下馬評通り、修道がパスワークを生かした攻めで優位に試合を進めてきた。だが、浜松西はゴールキーパー・牧野剛の好セーブと、守備陣の気迫の守りで激しい攻めをはね返し、縦パスを主武器に反撃した。

ところが、後半5分、修道のセンタリングがゴール前を固めようとした守備陣の踵(かかと)に当たってゴールイン。不運な失点にもめげず、激しく追い上げたが、0-1で惜敗した。

県内上位校に成長

全国では強豪に屈した浜松西だが、県内では上位校としての地位を確固たるものにし、52年の全国選手権県予選、55、56年の国体県予選と相次いで決勝に進出した。

しかし、いずれもあと一歩及ばず敗退。その後、低迷期に入っていたが、国体出場から実に45年たった95年(平成7年)の高校総体県予選で気を吐く。

指揮官の池谷孝に率いられたチームは準々決勝で静岡学園に3-1で競り勝ち、準決勝では沼津学園(現・飛龍)に延長の末、3-2で粘り勝った。最後は清水商に1-3で敗れたものの、大いに輝いてみせた。(敬称略)
シズサカ シズサカ

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