【静岡の高校サッカー戦後史Vol.12】藤枝東高が1956年度の兵庫国体で準優勝!決勝は修道(広島)に0-1
【藤枝東高③】郷里沸いた国体準優勝
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。初の全国選手権は2回戦敗退
1955年(昭和30年)度の全国選手権=56年1月開催=。藤枝東は初めて本大会に臨んだ。初陣ながら藤枝東の前評判は高かった。東海ブロック予選で国体優勝の刈谷(愛知)を下しての出場だったからだ。
1回戦は関西(岡山)と対戦。前半に安藤釼司(島田市在住)、後半に西谷喜代志(横浜市在住)がそれぞれロングシュートを決めて2-1で競り勝つと、2回戦は韮崎(山梨)が待ち受けていた。
隣県校の韮崎は、刈谷とともにブロック予選で常に県勢の行く手を阻んできた。
韮崎の壁厚く
ブロック予選で刈谷は倒した藤枝東だが、韮崎の壁は厚かった。鋭い出足に圧倒され、前半も序盤に2点を奪われた。それでも、安藤のシュートで1点差に詰め寄り、持ち前のパスワークを生かして反撃した。だが、逆に追加点を奪われ、1-3で敗れた。「ガツガツしたサッカーにやられた」と主将の西谷は55年前の敗戦を振り返る。ゴールを守った柴田二郎(焼津市在住)は「優勝候補といわれても、別に硬くなったわけではなかった。やはりスコアが示す内容だった」(サッカー王国静岡・その六十年の歩み=静岡新聞連載)と回想する。
全国初制覇、惜しくも届かず…
1953年度の国体、そして55年度の国体と選手権と、いずれも2回戦の壁に跳ね返された藤枝東だが、56年度の兵庫国体で2回戦の壁を突破する。それどころか、一気に決勝まで勝ち上がった。優勝をかけた一戦は修道(広島)と対戦した。相手は当時の高校サッカー界をリードしていた広島代表。パワフルなプレーで圧倒しようとする修道に、藤枝東はパスサッカーで対抗した。
試合は互角の展開だった。しかし前半、修道のコーナーキックのこぼれが藤枝東側の肩に当たってゴールイン。気を取り直して猛反撃に出たが堅守を崩せず、前半の1点に泣いた。
学校までパレード
わずかに届かなかった全国初制覇。「だからたいしたことはない。監督の小宮山(宏)先生もそう言うので、そうかなと思っていた」と、フォワード陣の一角の山田晁(藤枝市在住)。ところが、郷里は準優勝に沸いていた。大歓迎の中、選手たちは瀬戸川に架かる勝草橋から学校まで歩いてパレードし、勇姿を披露した。
この年、冬の選手権にも出場して堂々の4強入り。国体に続く活躍で、藤枝東株は上昇した。(敬称略)
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