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【静岡の高校サッカー戦後史Vol.33】メキシコ五輪銅メダリストの杉山隆一が封じ込められた…清水東の1960年度熊本国体

【清水東高④】宿敵に雪辱 再び国体へ

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。

1960年の熊本国体。民家に分宿して試合に臨んだ


1959年(昭和34年)度の清水東は、「弱い弱い」といわれながら、新チームがスタートしたという。国体で初出場初優勝の偉業をやってのけた前年度の主力が、ごっそり抜けたからだった。

3年生は、杉田基之、本多偉祐(ともに静岡市葵区在住)ら5人だけ。その5人が「新しい伝統が出来たんだから力一杯取り組もう」と、つぼみを開き始めた校庭の桜の下で確認し合った(サッカー部史・闘魂、本多記)という。

目標は2年連続国体出場だった。「弱い」と評されながらも、5人の3年生を軸に挑んだ国体県予選は決勝に進出した。相手は藤枝東。

前年度は準決勝で念願だった“打倒藤枝東”を達成し、勢いを駆って全国の頂点に立ったが、やはり宿敵の壁は厚かった。1−2で跳ね返され、連覇の夢を絶たれた。

1960年度、2年ぶりに国体へ

翌60年度の国体県予選。今度は2年前と同様、準決勝で藤枝東と対戦した。主将でCHを務めた飯沼義男(静岡市清水区在住)は、監督の沢田真養[まちか](沼津市在住)から「中に残っていろ」との指示を受け、忠実に実行した。勝敗の鍵を握るのは、いつの時代も中盤の攻防だ。

気迫もみなぎり、打倒藤枝東に一丸となっていた。「みんな総毛立っていた」(飯沼)といい、2−0で勝利を収め1年前の借りを返した。

再び分厚い壁を破った清水東は、決勝で浜松西を4−2で圧倒。東海ブロック大会は4校リーグ戦を2勝1分けで制し、2年ぶりに国体出場権を獲得した。

熊本で行われた国体本番。前々年度の覇者とあって、有力校の一角として地元紙の熊本日日新聞が大きく報じた。エースでユース代表でもある杉山隆一(藤枝市在住)の注目度も高かった。

2回戦で遠野(岩手)に0−4

1回戦は下馬評通りの戦いぶりで、富山北を4−1で退けた。しかし、続く遠野(岩手)戦は一転、攻め込んでもゴールを割れず、逆襲に失点を重ねた。結果は0−4。2回戦で早々と姿を消した。

この試合はエース杉山が徹底マークに遭った。8年後、メキシコ五輪銅メダルの原動力になった杉山は、当時から際立っていた。このため、遠野は杉山封じに出た。

今なら退場処分となるような、激しい後ろからのタックルを再三仕掛けてきた。杉山はクレームを付けることもなく、平然とプレーし続けたが、ゴールだけが遠かった。(敬称略)
シズサカ シズサカ

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