【静岡の高校サッカー戦後史Vol.32】清水東が1958年度、国体初出場優勝の快挙!決勝前に恩師から届いた電報「キリョクデ カテ」
【清水東高③】「重馬場」走り抜き頂点
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。宮本輝紀率いる山陽(広島)との決勝
舞台は1958年(昭和33年)度の富山国体。初出場ながら決勝に進出した清水東は、山陽(広島)と対戦した。山陽は前年度の静岡国体決勝で藤枝東に敗れはしたが、全国大会で常に上位に顔を出す強豪校だった。富山国体でも前評判は高く、後の日本代表の宮本輝紀(故人)を軸に順当に勝ち上がってきた。
「サイゴ マデ ハシレ、キリョクデ カテ!」。決勝前日、気持ちを鼓舞する電報が宿舎に届いた。文面の主は部育ての親である福井半治(故人)だった。福井は春の人事異動で県教委に転出していたが、教え子への思いは在任中と少しも変わらなかった。
延長突入に「しめた」
試合は下馬評通り、山陽が優勢に進め、後半9分に先制する。しかし、清水東はひるむことなく、走り抜いた。19分、佐藤代吉(故人)の起死回生のシュートで追い付き、後半が終了した。「その瞬間、思わず『しめた!』と心が躍った。と同時に、『延長戦に入ったら絶対に勝てる!』と、体中がそれをハッキリと伝えてきた」。主将の白鳥郁夫(千葉県白井市在住)は、サッカー部史「闘魂」で当時の心境をこうつづっている。
思いは誰も同じだった。延長前半4分、杉田基之(静岡市葵区在住)とのコンビプレーで加藤道明が決勝点をたたき出し、初出場初優勝の快挙をやってのけた。
決勝のピッチは準決勝の館林(群馬)戦と同様、泥田状態だった。だが、清水東は苦にすることなく、むしろ伸び伸びと戦い抜いた。「ぬかるみは慣れていた。どんな雨の日でも練習を休まなかったから」と、監督の沢田真養[まちか](沼津市在住)。沢田は福井の県教委転出を受け、ベンチを預かっていた。
「感無量清水東高強し!」
電車で決勝会場に向かった清水東の面々は、山陽と同じ車両に乗り合わせた。その時、「相手の表情が硬かった」ことをFBの長阪紘史(静岡市清水区在住)は明確に記憶している。では、清水東は。「山陽には春の遠征で負けているので、負けてもともと。リラックスしていた」(長阪)。前日、心に響く電報を受け、決戦の場は得手とする重馬場。さらに、リラックスしてピッチに立った清水東は、自ら勝利を引き寄せて頂点に立った。新指揮官はスコアブックの片隅で全国制覇の感激を表現した。「初出場優勝、感無量清水東高強し!」と。(敬称略)
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