【静岡の高校サッカー戦後史Vol.13】藤枝東高が1957年度の静岡国体でついに頂点に!トラックでパレード
【藤枝東高④】母校での国体 初の頂点
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。上昇カーブを描き続ける藤枝東株は、1957年度(昭和32年度)の一巡目静岡国体で最高値を付ける。
サッカー競技の開催地は藤枝市で、しかも母校グラウンドが主会場とあって、藤枝東は燃えていた。夏休みに2度の強化合宿をこなし、3年生は修学旅行への参加をやめた。
満を持して迎えた国体本番。2回戦の山城(京都)との一戦は天覧試合となった。母校のグラウンドには7、8000もの人が詰め掛け、観衆は道路まであふれた。
2回戦の天覧試合、山城(京都)を圧倒
大観衆の前で、藤枝東は立ち上がりから山城を圧倒した。前半こそゴールを割れなかったが、後半、2点をもぎ取り、記念すべき天覧試合を2-0で制して8強入りした。準々決勝は徳島商(徳島)に3-0で順当勝ちしたが、準決勝は一転、関西学院(兵庫)に先手を取られて大苦戦。
それでもタイムアップ寸前に飛び出した、主将・飯田誠二(藤枝市在住)の起死回生の同点弾で息を吹き返し、延長前半6分、センターフォワードの山崎享平(愛知県刈谷市在住)が勝ち越しゴールを奪った。さらに後半6分、池谷邦男(故人)がとどめを刺して、3-1で決勝進出を決めた。
決勝で山陽(広島)に逆転勝ち
決勝の相手は山陽(広島)。1年前、決勝に駒を進めた藤枝東は同じ広島代表の修道に競り負けた。再び、広島勢と渡り合った藤枝東は開始30秒にいきなり失点した。苦しいスタートを強いられたが、慌てなかった。前半28分、松浦晃也(神奈川県横須賀市在住)のシュートの跳ね返りを池谷が頭で合わせて追い付き、後半4分には池谷が再び決めて逆転した。
5分後、今度は梅原栄(故人)が貴重な3点目をたたき出した。その後、1点差に詰め寄られたが、3-2のまま押し切って、ついに全国の頂点に立った。
「『我』を殺してチームワークに徹した」
2年生ながら攻撃陣の核となっていた山崎は「地元開催のプレッシャーはなく、むしろやってやろうという気持ちの方が強かった」という。やはり2年生で、後に日本代表入りする渡辺昭夫(故人)は、母校の創立60周年記念誌で「勝因は(中略)選手全員が『我』を殺してチームワークに徹したことだったと思われる」と、悲願の初Vを振り返っている。
当然のように優勝パレードが待っていた。準優勝の1年前は歩いてパレードしたが、今度はトラックに乗っての行進。花道も藤枝駅から母校まで、と延びていた。 (敬称略)
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