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静岡新聞運動部

【静岡の高校サッカー戦後史Vol.18】東京五輪開催の1964年度、藤枝東は10年連続全国選手権出場!

【藤枝東高⑨】晴れの国体で強豪の壁

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。

1964年の東京五輪で晴れの聖火リレーメンバーに選ばれる

 
中等学校時代の1918年(大正7年)1月に始まった全国選手権で御影師範(兵庫)がいきなり7連覇したが、その後の連勝記録は2止まりだ。東京五輪に沸いた1964年(昭和39年)度、藤枝東には御影師範を除けば初となる「選手権3連覇」の期待が掛かっていた。

前年度のV2戦士から主力4人が抜けたが、主将の布施基雄(東京都葛飾区在住)ら3年生組に、2年生、さらに生きのいい新人を加えたメンバーはバランスが取れ、評価は高かった。だが、その分、選手たちにとってはプレッシャーの中でのシーズンインとなった。

静岡工との熱戦

10月の五輪を控え、国体は異例の6月開催。これに伴い、県予選は4月に行われた。このため、各校ともチームづくり途上で、覇権争いは混沌とした。それでも藤枝東は地力を発揮して決勝に進出、もう一方は静岡工が勝ち上がった。

代表の座を懸けた戦いは互いに譲らず、0−0で引き分け再試合。再戦も2−2で再延長にもつれ込んだが、終了直前、藤枝東は谷沢仙夫(藤枝市在住)の左センタリングを受けた下田実男(藤枝市在住)のダイビングヘッドで熱戦を制した。

新潟国体で準優勝

国体は新潟が舞台だった。選手権2連覇後の全国登場とあって注目を集めたが、重圧をはねのけて7年ぶりに決勝に進出した。相手は冬の選手権決勝で相まみえた明星(大阪)だった。

前半、下田のCKを生かしてゴールイン。ところが、オフサイドの判定でノーゴールとなった。この場面に絡んだ鈴木昭雄(藤枝市在住)は「CKなのになぜオフサイド―と思った」という。勝運にも見放された藤枝東は、このあとペースも乱して2失点、0−2で頂上決戦を落とした。

「これで先輩に顔向けができる」

次の戦いは選手権。県予選は五輪後の11月から12月に行われた。藤枝東にとって、選手権はV3とともに、10年連続出場がかかっていた。

順当に勝ち進んで藤枝北と対戦した決勝。必勝の意気に燃えていたが気持ちが空回りし、苦戦を強いられた。0−0で迎えた後半30分、最大の窮地に見舞われたが、GK吉岡保博(埼玉県越谷市在住)が超美技を披露した。

延長終了寸前、交代出場した1年生の松永章(東京都府中市在住)の決勝弾が飛び出して、10年連続出場を達成した。谷沢は「これで先輩たちに顔向けができる」と胸をなで下ろしたことを覚えている。(敬称略)

 
シズサカ シズサカ

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