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静岡新聞運動部

【静岡の高校サッカー戦後史Vol.37】1974年度の清水東、選手権初出場で準優勝!「逆境が人間を動かした」

【清水東高⑧】逆境ばねに初出場準V

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。

全国選手権県予選決勝。雨中の激戦を制し表彰式に臨んだ清水東


夏の全国総体3年連続出場を逃した1974年(昭和49年)度の清水東は、冬の全国選手権に向け、再スタートを切った。ただ、総体が終わると、3年生の多くは例年通り大学受験のためにチームを離れ、残った3人を軸に一新したメンバーで選手権予選に挑んだ。

3年生は3人にすぎなかったが、1、2年生に精鋭がそろい、布陣はバランスが取れていた。県予選は安定した戦いぶりで決勝に進出し、静岡工(現・科学技術)と対戦した。雨中の激戦となったが、1年生望月常規(静岡市清水区在住)が、右足アウトサイドでとらえた「イメージ通り」の一撃で決勝点をたたき出し、2−1で本大会出場を決めた。

引退した3年生が復帰

部復活から24年目の全国選手権初名乗りで、士気は上がっていた。ところが、12月中旬、主力の2年生2人が立て続けに骨折した。戦力低下は明らかで「目の前が真っ暗になった」と監督の勝沢要(静岡市清水区在住)。

この時、横山守(名古屋市在住)北村真実、近藤幹雄(ともに横浜市在住)の3人の3年生が戦列に戻り、窮地を救った。「戻ってくれ」と頭を下げる、チームに残った同期トリオの岡田秋人(清水東教)望月稔之、太田幸一(ともに静岡市清水区在住)と勝沢の熱意に応えたのだった。

さらに、衝撃がチームに走った。復帰したばかりの近藤の父親が、暮れも押し詰まった30日に交通事故死した。それでも近藤は正月3日に駆け付け、チームに合流した。

相次ぐ衝撃に「チームはどん底に落とされた」(勝沢)が、見事にはい上がる。今、OB会長を務めるGKだった望月稔之の表現を借りれば「逆境が人間を動かした」のだ。

決勝は帝京に1−3

水島工(岡山)新田(愛媛)を連破して4強入りし、準決勝で相模工大付(現・湘南工大付、神奈川)と相対した。試合は先手を許したが、終了3分前に志田文則(J磐田スタッフ)、1分前に内山勝(磐田市在住)が決め、2−1で逆転勝ちした。劇的な勝利を決めた左足シュートの感触を、内山は「はっきりと覚えている」。

決勝は帝京(東京)に1−3で屈した。だが、1年生のCF志田のヘッドによる一撃が微妙な判定で“幻のゴール”に終わるなど、惜しい場面の連続だった。

復帰した3年生も「ぼろぼろになりながら戦い抜いた」(横山)初出場準Vは、当然のことながら高い評価を得た。(敬称略)
シズサカ シズサカ

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