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静岡新聞運動部

【静岡の高校サッカー戦後史Vol.36】清水東が1973年度、長沢和明ら1年生トリオの活躍で全国総体4強入り!

【清水東高⑦】若いメンバー 総体4強

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。

三重総体準決勝前夜、宿舎でのミーティング。右端手前が監督の勝沢


大いに輝いた翌年は、往々にしてメンバー構成に腐心する。1973年(昭和48年)度の清水東は、その典型だった。前年度の全国総体を制覇した主力がごっそり抜けたからだ。
 
三重県で行われた全国総体は、前年度優勝校枠で推薦出場したが、1年生3人をレギュラーに起用する苦心の布陣で臨まざるを得なかった。だが、経験不足を懸念された1年生トリオも戦力として機能。要所に配した3年生の好リードもあり、準決勝に進出した。

清風、本郷、山城と次々撃破も準決勝で涙

といっても、4強入りまでの道は険しかった。初戦(2回戦)の清風(大阪)戦は、1−1のまま延長にもつれ込み、延長後半2分、横山守(名古屋市在住)―太田幸一(静岡市清水区在住)とつないで競り合いにけりを付けた。

3回戦は本郷(東京)を2−1で振り切り、準々決勝も山城(京都)と接戦となった。だが、0−0で迎えた後半21分、太田のシュートがクリアミスを誘い、決勝点をもぎ取った。

準決勝は児玉(埼玉)と対戦した。1年前も準決勝で顔を合わせ、大接戦の末、2−1で逆転勝ちを収めた相手だ。後に本田技研で活躍した設楽光永らを擁する好チームで、順当にベスト4に進出してきた。清水東は臆することなく、互角に渡り合った。しかし、後半17分に決勝点を奪われ、0−1で敗れた。

連覇の夢は絶たれた。だが、若い布陣ながら4強入りして、前回覇者としての存在感を十分、発揮した。1年生トリオの一人だった長沢和明(浜松大監督)は「先輩たちに迷惑を掛けまいと必死だった」という。

勝沢監督「立派だ」と評価

厳しい指導で知られた監督の勝沢要(静岡市清水区在住)だが、若い布陣でのベスト4進出を「立派だ」と評価した。

翌74年度、今度は初名乗りを上げた全国選手権の舞台で気を吐く。ただ、その道のりは平たんではなかった。

夏の全国総体は、県予選準決勝で優勝した浜名に0−2で敗れ、3年連続出場を逃した。

総体終了を機に、3年生は大学受験態勢にモードを切り替えるため、大半がユニホームを脱ぐのが慣例だった。この年度も例外ではなかった。それでも、太田幸一に主将だった岡田秋人(清水東教)、1年からゴールを守る望月稔之(静岡市清水区在住)の3人の3年生がチームにとどまった。(敬称略)
シズサカ シズサカ

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