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静岡新聞運動部

【静岡の高校サッカー戦後史Vol.43】清水東が1984年度、 2年生エース武田修宏を擁して全国総体へ

【清水東高⑭】黄金期後 険しい道のり

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。

1984年度の清水東。全国総体出場を決め、記念撮影する=藤枝市民グラウンド


1980年(昭和55年)度から4年間の清水東の活躍ぶりは目を見張る。総体2回、選手権3回、全国の舞台を踏んで、優勝3回を数え、“黄金期”を形成した。だが、こうした時期にバトンを受けるチームが、厳しい洗礼を受けることは珍しくない。

84年度のチームもその一つで、険しい道を歩むことになる。新チーム結成直後の県新人大会は2回戦で清水南に1−3で敗れ、県総体は中部予選決勝で清水商に0−5と大敗を喫した。主将を務めた原田清(東京海上)の耳には、大敗の後、監督の勝沢要(静岡市清水区在住)が「マイナスからのスタートだ」と奮起を促した声が残っている。

マイナスからの巻き返し

指揮官の言葉を受け、県大会に入って巻き返した。着実に勝ち上がると、決勝で清水商と対戦、今度は2−0で雪辱を果たした。マイナスからスタートしてつかんだ、3年ぶり6度目の全国総体出場権だった。

この年の正月、清水東は全国選手権で銀メダルを獲得した。その後を受けた全国舞台だったが、準Vメンバーの岩辺睦(鈴与)は「優勝を意識するのではなく、一戦一戦、戦い抜こうという思いだった」という。

エース武田への徹底マーク

秋田県で行われた真夏の全国総体は2回戦から登場。桐朋(東京)を相手にした一戦は、4得点と爆発した2年生エースの武田修宏(サッカー解説者)の活躍もあって、5−0で圧勝した。

3回戦は広島工(広島)と顔を合わせた。前半9分、CKの混戦から武田が決めて先制。その後も盛んに攻め込み、シュート数は20―9と圧倒した。しかし、決定機を生かし切れず、逆にカウンターから失点して2−3で涙をのんだ。

後に日本代表入りする武田だが、この試合は徹底マークに苦しんだ。先制点をたたき出したものの、その後は激しいつぶしに、追加点を奪えなかった。勝沢は「1人のエースに頼るチームの難しさを痛感した」と述懐する。

秋になると、3年連続出場が懸かる全国選手権を目指す戦いが待っていた。

1次トーナメントを突破して臨んだ第2関門のリーグ戦第3戦。1勝1敗同士の静岡学園と対戦、前半5分に武田のシュートで早々と先手を取ったが、反撃を受けて失点を重ねた。終盤、反発力をみせたが、追撃も届かず1−3で敗退、3年連続の全国行きは実現しなかった。(敬称略)
シズサカ シズサカ

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