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静岡新聞運動部

【静岡の高校サッカー戦後史Vol.20】1966年度、総体が三大タイトルの一つに。初代王者に輝いたのは藤枝東だった!

【藤枝東高⑪】復活遂げ総体初代王者

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。

一つ目のタイトルを手にした全国総体=開会式の入場行進から


1965年(昭和40年)度、国体、選手権ともに全国への出場記録が途絶えた藤枝東だが、翌66年度、鮮やかに復活して史上初の“三冠王”に輝く。

新チーム発足間もない65年冬休み、全国選手権出場校の室蘭工(南北海道)と対戦し、3−0と圧倒した。室蘭工は正月の本大会で準々決勝まで勝ち進んでいる。

練習試合とはいえ、全国ベスト8校を一蹴したとあって、左サイドバックの松永諭(愛知県刈谷市在住)は「やれるぞ」と、新たなシーズンへの自信をつかんだことを覚えている。全国選手権県予選準決勝で藤枝北に屈し、悔し涙に暮れてから1カ月。新主将の松永章(東京都府中市在住)以下、選手たちは復活に向け、確実な第一歩を踏み出したのだ。

冬の新人戦は藤枝北と優勝を分けたが、春のスポーツ祭を制して、6月の全国総体県予選に臨んだ。

全国総体は真夏の高校生のスポーツ祭典で、66年度からサッカーも仲間入りした。この結果、秋の国体、冬の選手権に加え、真夏の総体が高校サッカーの三大タイトルとなった。ただし、国体が70年度から都道府県ごとの選抜制に変更されたため、高校単独での三冠の機会は同年度でいったん途絶える。だが、90年(平成2年)度に高校とクラブチームが同じ土俵で競う、全日本ユース(U-18)がスタートし、高校にとっての三大タイトルが再現する。

浦和市立との決勝、井沢が決勝点

さて、66年度の藤枝東は三冠ロードを突き進んだ。まず、挑んだのは新設された全国総体。県予選を突破して会場地の青森県十和田市に乗り込むと、すべて完封勝ちして決勝に進出した。

相手は好敵手の浦和市立(埼玉、現・さいたま市立浦和)だったが、立ち上がりから主導権を握った。前半は決定機を逃したが、0−0で迎えた後半3分、右サイドを切り込んだ桑原隆(さいたま市在住)の折り返しを松永章がスルー、これを井沢千秋(横浜市在住)が見事にとらえた。鮮やかな連係プレーで生み出した決勝点を、起点となった桑原は45年たった今でも「鮮明に覚えている」という。

「どれくらいやれるか、やってやろうじゃないか」と、大会に臨んだ岡村新太郎(横浜市在住)。揺るぎない強さで一冠目を手にし、岡村は「自分たちの力を確信した」のだった。(敬称略)

 
シズサカ シズサカ

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