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【静岡の高校サッカー戦後史Vol.22】三冠世代からバトンを受けた1967年度の藤枝東、待っていたのは厳しい現実だった…

【藤枝東高⑬】「三冠」後に雌伏の日々

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。

推薦枠で出場した福井総体の入場行進


総体、国体、選手権を制した、史上初の三冠チームからバトンを受け、1967年(昭和42年)度の新生藤枝東がスタートした。

三冠王に輝いたチームは、2年生だったGK滝広男(静岡市駿河区在住)を除けば、オール3年生の不動の布陣で栄光のシーズンを戦い抜いた。このため、後を受けた新チームのメンバーは滝以外、実戦経験を積むことはほとんどなかった。

「谷間の世代」と呼ばれて

実戦不足の新布陣とあって、周囲の目には「谷間のチーム」と映った。だが、三冠チームの練習相手を務めても「大負けはしなかった」ことから、主将を引き受けた永井忠史(焼津市在住)は酷評されながらも、新チームに手応えを感じ取っていたという。しかし、厳しい現実が待っていた。

夏の全国総体は、前年優勝校に与えられた推薦枠で出場権を得て、県予選を勝ち抜いた清水東とともに福井県で行われた本大会に臨んだ。注目の中、初戦(2回戦)は突破したが、3回戦で韮崎(山梨)に屈した。開始直後の失点をはね返せず、0-1の惜敗だった。

「何とかしたい」

秋の国体は得失点差でわずかに及ばず、4強で争った決勝リーグを抜け出せなかった。前年度から推薦制を採用した冬の選手権。静岡県勢はいずれも選考から漏れ、正月の舞台を踏めなかった。

偉大なチームからバトンを受け、「何とかしたかった」とFBで、後に母校の指揮を執る長谷川二三(藤枝市在住)。だが、その思いは届かず、推薦による総体出場にとどまった。藤枝東の創立60周年記念誌「サッカー六十年のあゆみ」は、67年度を「雌伏の日々」と受け止める。

再浮上が大命題だった1968年度

翌68年度、藤枝東からも富沢清司(焼津市在住)山口芳忠(東京都世田谷区在住)のOB2人が参加したメキシコ五輪で、日本のサッカーは銅メダル獲得の快挙をやってのける。

この年度の藤枝東は、再浮上が大命題。雌伏の日々からの脱却を期して、早朝練習に取り組んだ。「朝用と昼用の弁当を持って朝練に出かけた」とCFの小長谷喜久男(袋井市在住)。

こうして挑んだ総体県予選。決勝で清水南に1-0で競り勝ち、自力で広島県開催の本大会行きを決めた。総体に続いて国体も県予選を突破、選手権も推薦で出場権を獲得した。

3大大会全て全国のピッチに立ったが、果たして再浮上への階段を駆け上ったのだろうか。(敬称略)
シズサカ シズサカ

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