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【静岡の高校サッカー戦後史Vol.31】清水東が“打倒藤枝東”を成し遂げた日!「恐れを知らない集団になった」

【清水東高②】“分厚い壁”破り全国へ

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。

1958年度の富山国体に出場した面々


復活2年目の1952年(昭和27年)度、早くも国体県予選で優勝した清水東は、その後も国体、全国選手権の両県予選やスポーツ祭などで、常に上位に進出した。上位常連校の地位を確保した清水東だったが、その前に決まって立ちふさがる存在があった。藤枝東である。

名将勝沢要の選手時代

勝沢要(静岡市清水区在住)が主将としてチームを引っ張った57年度も、藤枝東の分厚い壁に跳ね返された。国体予選は準決勝で対戦し0−2、選手権予選は決勝で顔を合わせ1−2で、ともに屈した。後に母校を率い、全国の頂点に立つ勝沢だが、高校時代から「打倒藤枝東」が一大目標だったという。

1958年度、悲願の全国出場

翌58年度、勝沢らの無念の涙から一転、後輩たちが歓喜の涙を流す。分厚い壁を突き破ったばかりでなく、全国制覇への階段を一気に駆け上がって頂上を極めたのだ。

夏休みに行われた国体予選。清水東は1年前と同様、準決勝で藤枝東と対戦した。清水東は先手を取られたものの、ひるむことなく戦い抜き、3−2で競り勝った。

FBの栗田壌(故人)はサッカー部史「闘魂」に、打倒藤枝東達成の喜びを次のように記した。「ついにやった。常勝藤枝東を破った。(中略)夢がかなった私たちのチームは、(中略)無欲であり、恐れを知らない集団になっていた」と。

恐れを知らない集団になった―というチームは、決勝で静岡を2−1で倒し、東海ブロック予選も突破して、国体行きの切符を初めて手にした。部復活から8年目、悲願の全国大会初出場でもあった。

1年の杉山隆一が攻撃の核に

県内では上位常連校に成長したとはいえ、県外では無名の存在だった。1年生ながら、既に攻撃陣の核になっていた杉山隆一(後の日本代表、藤枝市在住)は遠征の際、「藤枝東は知ってるけど、清水東があるなんて知らなかった」と言われたことをよく覚えている。だが、国体本番の富山の地で、清水東は一躍、全国区に躍り出る。

といっても、その道のりは決して平坦ではなかった。1回戦は甲賀(現・水口、滋賀)を5−1と圧倒したが、2回戦の日立一(茨城)、準々決勝の甲府商(山梨)はともに延長の末の粘り勝ちだった。それでも4強入りして再び、勢いを盛り返した。

雨中の戦いとなった準決勝は、館林(群馬)を寄せ付けず、2−0のスコア以上の内容で勝利を収め、決勝に名乗りを上げた。(敬称略)
シズサカ シズサカ

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