【静岡の高校サッカー戦後史Vol.53】藤枝北が1961年度、“打倒藤枝東”を達成して初の県頂点に
【藤枝北②】創部9年目 初の県制覇
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。1961年(昭和36年)度、藤枝北は従来の「藤枝農」から現校名に替わった。創部9年目のサッカー部は「新生・藤枝北」の門出を祝うように、5月の県スポーツ祭で快進撃をみせて優勝、初めて県チャンピオンの座に就いた。
決勝は藤枝東と対戦した。53年度創部の後発チームにとって、常に県をリードする藤枝東は大きな目標だった。前年度も決勝で顔を合わせ、1−2で涙をのんだが、1年後、藤枝東と互角に渡り合うまでに成長していた。
主将の山内初雄(藤枝市在住)によれば「個性派の集まりだった」。だが、「まとまると強かった」一方で「ばらばらになるともろい」二つの顔を持っていた。
藤枝東を7−0撃破
春の覇者を懸けた戦いは、まとまると強い顔を存分に披露する一戦となった。キックオフ直後、木野林(藤枝市在住)がいきなり決めて先制。これで勢いに乗ると波状攻撃を仕掛け、1人で「5点は取ったと思う」という木野の活躍もあって、7−0の大差を付け、背中を追い続けてきた藤枝東を退けた。藤枝東にすれば屈辱的な敗戦で、当時のメンバーの多くが「ショックだった」と口にする。
“打倒東高”を達成した藤枝北は、満を持して8月下旬の国体県予選に臨んだ。監督の植田永二(藤枝市在住)が抱いていた「(本大会出場は)いけそうだ」との思いを体現するように、順調に決勝まで勝ち上がった。
伝統校との違い
相手はやはり藤枝東だった。春のスポーツ祭で圧勝していることから自信を持ってピッチに立ち、先制点を奪った。さらに小山益雄(愛知県刈谷市在住)の一撃がネットを揺らした。ところが、ノーゴールの判定で、2点目は幻に終わった。「何であれがノーゴールか」。その後、大商大―豊田織機と進み、日本リーグ(JSL)で活躍した小山だが、「あんな悔しいことはなかった」という。
加点機消失は、チームに決定的なダメージを与えた。闘争心がすっかり萎[な]え、「意気消沈してしまった」と木野。勢いを盛り返した藤枝東の逆襲をしのぎ切れなかった。終わってみれば1−3。逆転負けし、初の国体出場も夢と消えていた。
不運な敗戦だったが、「東高は夏休みに力を付けていた」と山内は冷静に受け止める。OBの指導でぐんと成長するのが、藤枝東の毎夏の姿だった。ここに、伝統校との違いを感じ取っていたのだった。(敬称略)
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