【静岡の高校サッカー戦後史Vol.55】藤枝北の歴史に刻まれた1965年度の“全国1勝”

【藤枝北④】強敵破り 念願の選手権

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。

1965年度全国選手権県予選を制し、初出場を決めて記念撮影する=藤枝東高グラウンド

藤枝北にとって、念願の全国行き実現は藤枝東の分厚い壁を突き破ることにかかっていた。

1965年(昭和40年)度の国体県予選。準決勝で藤枝東と対戦すると、2−0で勝ちを収めた。遂に達成した“打倒藤枝東”。さあ、これで初の全国行きだ―と意気上がると思われたが、逆に「東高に勝ったことで気が抜けてしまった」といい、決勝で静岡工に1−0で屈して、初代表の座を逃した。

0−2からの逆転劇

続く全国選手権県予選。準決勝で再度、藤枝東と顔を合わせ、前半、0−1とリードを許した。とはいえ、内容はむしろ上回っていて、監督の鈴木優(藤枝市在住)は、ハーフタイムに指示を出す際、元気づけることだけを心掛けた。鈴木は部長に回った、部育ての親である植田永二(藤枝市在住)の後を受け、3年前から指揮を執っていた。

後半17分、再び失点した。致命的な2点目と思われたが、ピッチの選手たちは「負ける気がしなかった」という。その思いは形となって表れた。

4分後、池谷吉男(愛知県豊田市在住)が20メートル弾を決め、30分にはPKを薮崎幸裕(藤枝市在住)が確実にけり込み、延長に持ち込んだ。そして迎えた延長後半6分、FKを受けた木野良博(藤枝市在住)が頭で決勝点をたたき込んだ。

準決勝で藤枝東を破りながら、決勝で苦杯をなめた国体予選と同じ轍[てつ]は踏まなかった。清水東と対戦した決勝は、動きが硬く守勢に回った。しかし、後半27分、小川勇(藤枝市在住)が決勝点を奪い1−0で競り勝って、とうとう全国への出場権を獲得した。

念願だった全国のピッチに

初出場ながら、前評判は上々だった。1回戦は下馬評にたがわぬ内容で、新宮商(和歌山、現・新翔)を5−0で退けた。好発進にムードは上がったが、2回戦は新島学園(群馬)に2−4で屈した。

まさかの2回戦敗退だった。だが、主将の金高隆司(藤枝市在住)は「初出場で余裕がなかった」と受け止めた。前半4分に早々と失点したことで、「浮き足立ってしまった」とRHの薮崎。LHの石上瞬二(藤枝市在住)は「全国を知らない弱さが出た」と分析する。

選手権本番では真価を発揮できなかった。それでも、打倒藤枝東を達成した末に念願だった全国のピッチに立った実績は、まもなく還暦に達する藤枝北サッカー部の歴史にしっかりと刻まれている。(敬称略)

 <次回からは「清水商(現清水桜が丘)」です>
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