【静岡の高校サッカー戦後史Vol.19】藤枝東の1965年冬、全国3連覇を目指すも…
【藤枝東高⑩】3連覇の夢 抽選で散る
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。全国選手権10年連続出場を達成した藤枝東は「3連覇」を目指し、1965年(昭和40年)正月の本大会に挑んだ。
当然のように注目度は高く、優勝候補の一角に挙げられていた。選手たちも3連覇を意識して、初戦の上野工(三重)戦に臨んだ。プレッシャーの中での戦いとあってか、動きは重かった。それでも1−0で競り勝ち、2回戦も関西学院(兵庫)を1−0で退けて8強入りした。
まさかの鎌倉学園戦
準々決勝は鎌倉学園(神奈川)と対戦した。練習試合で4−0で圧勝していることもあって、立ち上がりから攻勢に出た。しかし、はるかに上回る決定機を生かせず、延長にもつれ込んだ末、2−2でタイムアップ。勝敗の行方は抽選にゆだねられることになった。抽選に臨んだのは主将の布施基雄(東京都葛飾区在住)。ジャンケン、コインと進み手にした封筒で負けが決まると、ピッチに倒れ込み、泣き伏した。
1年からベンチ入りしていた下田実男(藤枝市在住)は、恩師の長池実(故人)に「3連覇なんて経験できるものじゃあない。頑張ってみろ」と言われ「その気になっていた」という。だが、その思いはかなわず、V3は夢と消えた。
藤枝北の壁
65年度の藤枝東は一段と厳しい現実を突きつけられることになる。新チームは萩原喜久雄、碓井善治、清水祥右(いずれも藤枝市在住)の前年からの主力トリオに加え、松永章(東京都府中市在住)桑原隆(浜松市在住)岡村新太郎(横浜市在住)ら2年生に力のある顔ぶれがそろっていた。
新人戦は藤枝北と優勝を分け合い、スポーツ祭で優勝と着実に再起への道を進んだ。ところが、国体予選は準決勝で藤枝北に0−2で屈した。
残る全国舞台は選手権。巻き返しに出たが、またも県予選準決勝で藤枝北に敗れた。試合は優位に進め、前半13分に碓井、後半17分に松永が決めて2−0とリードした。だが、攻撃の核の碓井が前半で負傷退場したことが響き、後半、リズムを崩して追い付かれ、延長の末、2−3で涙をのんだ。国体に続いて全国への道を断たれ、「いまだに思い出すとつらい」と主将だった萩原。
敗戦の後、監督の長池は「申し訳なかった。勝てると思っていた」と教え子たちの前で頭を下げ「来年、絶対に雪辱する」と誓った。翌66年度、その言葉は現実のものとなる。(敬称略)
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