【藤枝東高⑮】同県決勝制し4度目V
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。
藤枝東が初の同県決勝を制した戦いを伝える1971年1月8日付の静岡新聞
史上初の三冠王に輝いた1966年(昭和41年)度以降、低空飛行が続いていた藤枝東だったが、70年度に再び光彩を放つ。
69年度全国選手権(70年正月開催)の2回戦敗退直後の県新人戦を制したのが、巻き返しへの第一歩だった。その歩みは、春休みに藤枝市で開催された高校フェスティバルで、さらに確実なものになる。
1970年度の藤枝東、66勝4分け2敗
各地に先駆けて始まったフェスティバルには、全国の強豪が集まった。ここで、浦和南(埼玉)と対戦し、勝利を収めた。浦和南は前年度の三冠王。メンバーは入れ替わったとはいえ、三冠チームを破ったことで「やれるぞ、と自信をつかんだ」と主将を務め、後に母校を率いる鎌田昌治(藤枝市在住)。主将の言葉を裏付けるように勝ち星を重ねた。練習試合を含め、66勝4分け2敗。年間を通し黒星はわずか二つだが、このうちの一つが総体県予選準決勝の清水東戦だった。圧倒し続けながらも0-1で敗れ、全国総体への道を遮断された。痛恨の黒星を、FWの堀井美晴(兵庫県宝塚市在住)は「隙があったから」と受け止め、「この負けがその後につながった」とみる。
夢の対決が実現
国体が選抜制となったため、単独校で臨む次の全国舞台は正月の選手権。気を引き締め直して県、東海予選を勝ち抜き、本大会に名乗りを上げた。本県からもう1校、浜名が出場した。浜名は全国総体で初出場初優勝の快挙をやってのけ、夏の王者としての推薦出場だった。両校が勝ち上がれば、戦後初の同県校同士の決勝対決となる。注目の中、両校は順調に勝ち進み、夢の対決が実現した。
高校王者を懸けた同県勢対決は71年1月7日、西宮球技場で行われた。この年の大会は雪に見舞われ、ピッチ状態は不良だった。決勝前日のミーティングで、藤枝東の監督、長池実(故人)は「四隅は状態がいいから、そこを使え」と指示した。スイーパーだった池田潤治(藤枝市在住)は、この指示をしっかりと記憶しているという。
指揮官の指示は的確だった。四隅に持ち込めば、持ち前の技が鈍ることはなかった。コーナーからの攻めで、浜名の堅陣を崩し、3-1で同県勢による決勝対決を制した。4年ぶり4度目の選手権制覇だった。
藤枝東だけでなく、本県の高校サッカーが大いに輝いた大会でもあった。(敬称略)