【静岡の高校サッカー戦後史Vol.84】静岡北が1973年度、初の全国へ!浜名との決勝で森真澄が会心のフリーキック

【静岡北②】死闘制し初の全国舞台

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。
 

1973年度全国総体競技別開会式で入場行進=三重県上野市


1972年(昭和47年)度、父母の会が発足した。支援態勢も整ったこの年度、自動車工(現・静岡北)は総体、選手権両県予選でともに決勝に進出した。総体は清水東、選手権は藤枝東に敗れ、全国への道は断たれたが、「自工手強し」の印象を与えた。

翌73年度、県スポーツ祭で決勝に勝ち上がった。ここでは藤枝北に屈し、3大会連続、決勝で涙をのんだ。だが、戦えるとの手応えを感じ取って、直後の総体県予選に臨んだ。2回戦から登場した県総体は、浜松工、浜松北、榛原を倒し、決勝に駒を進めた。

浜名との激闘

決勝は浜名と対戦し、全国行きを懸けて壮絶な戦いを展開した。互いに譲らず、0−0で迎えた延長前半も終了寸前、主将・中谷勝裕(現・鳥居、ワイズギア)のシュートで待望の先制点を奪った。しかし、後半2分に追い付かれ、もつれ込んだ再延長も1−1の均衡は破れず、そのまま引き分け、再試合となった。

6日後の再試合は、自動車工が先行すれば浜名が追い付き、2−2のまま、またも延長に突入した。延長前半4分、自動車工はペナルティーエリア左手前でFKを得た。森真澄(静岡トヨペット)のファーサイドを狙った一撃は、右上隅のゴールネットを揺らした。「今でも覚えている」という森の会心弾が決勝点となった。

高橋節夫(静岡市葵区在住)が指揮を執って5年目。監督赴任当初、掲げた「5年以内で県制覇」の目標を達成し、初めて全国への出場権を獲得した。

全国へ「追い込みすぎた」

三重県開催の全国総体は、初戦(2回戦)で金沢桜丘(石川)を5−0と圧倒。ところが、3回戦はオウンゴールで同点とされ、遠野(岩手)に1−2で逆転負けした。初戦の大勝で勢いに乗ったと思われたが、動けなかったことが敗因だった。

「追い込みすぎた」と高橋は自省する。初の晴れ舞台に備え、指揮官は猛練習を課した。東海総体も制し、全国総体直前の関東遠征でも強豪校を退けて、順調な仕上がりを思わせた。

ところが、遠征中にチーム状態が急降下。調子が戻らないまま、本大会を迎えた。「体調を崩した選手が多かった」とHBの山村隆(現・大村、静岡ガス)。「実力を出し切れなかった」と振り返る中谷に、無念の思いがよみがえった。

全国で勝つより難しいといわれた、当時の県予選は突破したものの、初陣校にとって全国の壁も厚かった。(敬称略)

1973年度全国総体先発メンバー

GK
有ケ谷隆志

FB
竹原純一
朝原正義
渡辺等
石上信之

HB
山村隆
森真澄
小川行雄

FW
海野春男
中谷勝裕
伊久美安生
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