【静岡の高校サッカー戦後史Vol.16】1962年度、藤枝東が全国選手権で県勢初優勝!
【藤枝東高⑦】選手権、念願の県勢初V
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。1961年(昭和36年)度の全国選手権1回戦で、藤枝東は甲賀(滋賀、現・水口)に2−3で屈した。連続出場を7に伸ばしたものの、初戦敗退は初めてだった。
無念さを存分に味わった選手たちの大半は1、2年生。選手権こそ早々に姿を消したが、国体は4強入りした実績があった。だからこそ、再浮上への手応えも感じ取って、新チームはスタートした。東京、メキシコ五輪代表の山口芳忠(東京都世田谷区在住)、五輪には出場しなかったが、やはり後に日本代表入りした桑原勝義(浜松市在住)と菊川凱夫(福岡市在住)ら、メンバーは実力派ぞろいだった。
迎えた1962年度、チームは快調に歩を進めた。しかし、岡山県で開かれた国体は、準決勝で優勝した浦和市立(埼玉、現・さいたま市立浦和)に抽選負けした。勝運なく決勝進出を逃したとはいえ、優勝校に一歩も引けを取らなかったことから、その後の戦いに向け自信をつかんでいた。
「負ける気がしなかった」
全国選手権の県予選を順当に勝ち抜き、本大会に突入しても「負ける気がしなかった」(桑原)という。その言葉通り、1回戦は徳島商(徳島)に5−0、2回戦は松山北(愛媛)に6−0で圧勝した。松山北戦はゴールキーパー(GK)の新村勝義が風邪でダウン。代わってフィールドプレーヤーの菊川がゴールを守ったが、「シュートが飛んでこなかったからね」と完封劇に一役買った。
準々決勝も韮崎(山梨)を3-1と圧倒。準決勝は明星(大阪)に先手を取られながらも、菊川のヘディングシュートで追い付くと、山口、桑原が追い打ちをかけ3-1で決勝に駒を進めた。
浦和市立との激闘
決勝で待ち受けていたのは、国体準決勝で抽選負けした浦和市立だった。雪辱に燃える藤枝東だが、浦和市立の分厚い攻めに押し込まれ、防戦に追われた。しかし、後半3分にPKを得ると、井沢邦彦(愛知県刈谷市在住)ががっちり決めて先制、この1点を気迫の守りでしのぎ切った。最大のピンチは後半29分。後に日本代表入りする浦和市立・山田弘(現・落合)のシュートは、前線で山口らが「やられた」と頭を抱えた一撃だったが、GK新村の超美技で窮地を脱した。
悲願の選手権県勢初制覇。勝利が決まると、主将の内藤公広(故人)ら選手たちは誰もがはばかることなく号泣し、喜びを素直に表現した。(敬称略)
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