【静岡の高校サッカー戦後史Vol.28】藤枝東が復権へ!1992年度の全日本ユース制覇と1997年度の全国選手権ベスト4!
【藤枝東高⑲】21年ぶり全国タイトル
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。1980年(昭和55年)度を境に県内の高校サッカーは「清水の時代」に突入、かつて主役を張った藤枝東も、4強入りした84年度の全国選手権を除けば、脇役生活を余儀なくされた。
そんな流れの中で迎えた1992年(平成4年)度、藤枝東が再び光彩を放つ。90年度にスタートした、クラブと高校が同じピッチで競い合う全日本ユース(U-18)がその舞台だった。
山田暢久(元J1浦和)らを擁し全国頂点へ
92年度の総体県予選。決勝に駒を進めながら、清水勢の清水東に屈する。だが、直後の東海総体を制し、全日本ユースへの出場権を獲得した。当時は、ブロック総体が高校部門の地域予選を兼ねていたのだ。指揮官は前任の鎌田昌治(藤枝市在住)から、やはり故・長池実門下生の長谷川二三(藤枝市在住)に代わっていた。全日本ユースは藤枝東にとり、久々のひのき舞台。長谷川は、打倒クラブを体現する場と受け止めていた。
主将の秋定実(東京都港区在住)ら3年生に、太田渉(藤枝市在住)山田暢久(J浦和)吉野友三(藤枝市在住、今春から母校の監督)ら有力2年生を加えた布陣はバランスが取れ、決勝に進出した。相手はクラブの雄の読売ク(東京)だったが、持ち前の攻撃力で3−1と圧倒し、71年度の総体以来、21年ぶりに全国の頂点に立った。
佐賀一平、河村優、石川竜也らタレントぞろいの布陣
全日本ユースは翌93年度も出場するが、2回戦で敗退。このあと、全国舞台から姿を消していたが、97年度の全国選手権でよみがえる。監督は服部康雄(藤枝市在住)。前任者2人と同様、長池門下生である。母校の指揮を執って3年目、追究するのは技を生かした攻めのサッカーだった。
県予選決勝で静岡学園との攻め合いを制し、13年ぶりに踏んだ本大会のピッチでも、攻撃力を前面に出してベスト4に勝ち上がった。佐賀一平、河村優(ともに元J札幌など)らが前線で奔放に動き、左サイドバックの石川竜也(J山形)でも「(攻め)上がることを意識していた」。
帝京との準決勝、シュート20本放つも…
準決勝は帝京(東京)と対戦、立ち上がりから攻め込んだ。中盤を抑えて攻勢を貫き通し、シュートは相手の2倍の20本を数えた。だが、攻め切れず、逆に帝京に数少ないチャンスをものにされて、0−2で涙をのむ。リスクを冒しても勝負を仕掛けた攻めのサッカーは、翌98年度に結実することになる。(敬称略)
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