
【静岡の高校サッカー戦後史Vol.5】浜松西高、1949年のメモリアルイヤーに「打倒浜松北高」を達成
【浜松西高㊥】悲願の「打倒北高」達成
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。
故山本二郎
種まきから手がけ、浜松西高サッカー部を育て上げた山本二郎と児玉二郎。山本はサッカーとの関わりを持ち続け、2001年(平成13年)、85歳で永眠した。一方の児玉は米寿を迎えてもなお壮健。浜松市中区に住み、シニア仲間とプレーを楽しむ。
「走れ!強いボールを蹴れ!」
浜松二中は学制改革により、浜松二高を経て1949年(昭和24年)4月、現校名の浜松西高となる。新生高校がスタートしたこの年は、浜松西のメモリアルイヤーであるばかりでなく、サッカー部にとっても忘れられない年となった。目標としてきた「打倒北高」を達成したのだから。
何度跳ね返されても…

二郎先生の1人、児玉二郎。88歳を超えたいまもかくしゃくとしている=浜松市中区
「打倒浜一中!」「打倒北高!」は部創設以来の合言葉だった。といっても、ベルリン五輪に代表選手を送り込むなど、実績を誇る伝統校と、新興チームの力量差は歴然としていて、挑戦しては跳ね返され続けた。
だが、屈するたびに「打倒浜一中(北高)!」の思いを募らせ、二人の二郎先生が要求する厳しい練習に耐えた。
迎えた5月の三遠大会。決勝に勝ち進むと、浜松北高が待ち受けていた。開始2分、浜松北はミスを逃すことなくあっさりと先手を取り、またも浜松西の前に立ちふさがった。
三遠大会決勝で逆転勝ち
夢の実現に選手たちは歓喜した。サッカー部50年誌は「レフェリーのホイッスルは高々と、試合終了を我々に告げた。勝った。勝った。まさしく北高いや一中、一高打倒の夢はここにおいて叶(かな)ったのである」と、喜びあふれる表現で記念すべき勝利を伝えている。
山本が掲げた「5年計画」より1年早く、実力校の浜松北と肩を並べるまでになった浜松西は翌50年、国体予選を勝ち抜いて全国のひのき舞台に立つ。 (敬称略)


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