
【静岡の高校サッカー戦後史Vol.2】浜松北、中部ブロック大会で敵なし!いざ福岡国体へ
【浜松北高㊥】晴れの国体で強豪の壁
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1948年秋、福岡国体に出場した浜松一高の面々(浜松北高サッカー部創設80周年記念誌から)
1948年(昭和23年)度の国体県予選。決勝まで順当に勝ち上がった浜松一高は、藤枝東高(当時・志太高)と顔を合わせた。対戦を前に「間違いなく勝てる-と、みんな自信に満ちていた。今では信じられないでしょうね。何せ、相手は藤枝東ですから」と、2年生でマネジャーも務めた尾崎治(浜松市北区在住)は往時を懐かしむ。
県下一の座をかけた戦いは、「間違いなく勝てる」の言葉通りに立ち上がりから主導権を握った。開始早々、ライトウイング能勢剛行のドリブルシュートが鮮やかにゴールをとらえた。見事な先制点のはずだったが、ボールはたるんでいたゴールネットの隙間を突き抜け、ネットを揺らさなかったため、審判はノーゴールの判定。
「我々は唖然(あぜん)としたが、まあ1、2点はどうでもいいと大きな気持ちで抗議もせず試合続行」(静岡サッカー70年のあゆみ=静岡県サッカー協会刊)し、4-0で圧勝してみせた。
中部9県ブロック大会制し、全国へ
次の関門はブロック大会である。いまは東海4県大会だが、当時は中部9県で争われた。浜松一高はここでも他の追随を許さず優勝、中部9県の代表として福岡国体に臨んだ。食糧難時代とあって米を持参して列車に乗り込み、26時間をかけた福岡行きだった。県でも中部でも敵なし、ならば国体本番でも-と勇躍、福岡に乗り込んだが、初の晴れ舞台では全国の厳しさを痛感させられる。
準決勝で広島高師付と対戦
近畿代表の伊賀上野高と対戦した初戦は、1-1で延長にもつれ込み、延長でもけりがつかなかったが、抽選の末にしぶとく勝ち抜いた。これでベスト4に進出。決勝進出をかけた相手は中国代表の広島高師付だった。当時、サッカーどころとして名をはせていた広島勢でも屈指の存在といわれた強豪だ。前評判は本物だった。広島が誇る強豪は、全国舞台初陣の浜松一高の前に分厚い壁となって立ちふさがった。
マネジャー兼務の尾崎は、対戦相手の偵察役を仰せつかっていた。広島高師付の初戦の戦いぶりをつぶさにチェックした尾崎の目に、右サイドからの崩しが脅威に映った。
尾崎の分析をもとに相手の右サイド封じに成功したが、逆に左サイド(自陣の右サイド)からの攻めに苦しみ、守りを崩された。しかし、サイド攻撃以上に強烈だったのは「激しさ」だった。
(敬称略)


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