【静岡高㊦】選手権初戦で本命撃破
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。.jpg)
メルボルン五輪に出場した故大村和一郎(静中・静高サッカー部史から)
静岡城内高(現・静岡高)は1950年(昭和25年)9月の国体予選でよもやの負けを喫した。だが、実力が本物だったことを11月から12月にかけた全国選手権予選で立証する。
国体予選敗退の雪辱に燃える静岡城内は、選手権県予選で快進撃をみせ、4県で戦う中部ブロック大会に進出した。山梨、長野、新潟各県代表と1枚の代表切符を争った。
当時の中部ブロックは山梨勢の天下で、殊に韮崎の強さが際立っていた。その韮崎と決勝で顔を合わせると、見事な戦いぶりで勝利を収め、全国大会出場の夢を実現させた。
全国選手権で歴史的1勝
静岡県代表が初めて踏んだ全国選手権の晴れ舞台は、翌51年1月2日、兵庫県西宮市の西宮球技場で開幕した。静岡城内の1回戦の相手はV候補筆頭の国泰寺(広島)だった。前年秋の国体で、浜松西が初戦で敗れたのは広島の修道であり、48年の国体でも浜松一が準決勝で屈したのは広島勢の広島高師付だった。静岡代表がみたび、広島勢に屈するのか。静岡城内の挑戦が注目を集めた。
初陣とあって、立ち上がりの静岡城内は動きが硬く押し込まれた。しかし前半10分、塩沢満(故人)がオーバーヘッドシュートを決めて先手を取った。
「まさかと思ったが入っちゃった。これで気が楽になったね」(静中・静高サッカー部史)と塩沢が振り返ったように、その後の静岡城内は終始、主導権を握り、4-1で圧勝した。
2回戦敗退も強烈な印象残す
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ともに大学で活躍した小杉弘と故塩沢満(静中・静高サッカー部史から)
優勝候補を寄せ付けなかったとあって、新聞の見出しは躍り、選手たちも勇んで続く高知農(高知)戦に臨んだ。ところが、動きは鈍く前半に先制点を許した。
それでも後半は一方的に押し込んだが決め手を欠き、終了寸前のPKも外して0-1で惜敗した。「国泰寺に勝って慢心したのかもしれない」。ライトインナーで活躍した小杉弘(神奈川県二宮町在住)は、60年前の不本意な敗戦を分析した。
伏兵に敗れ、2回戦で姿を消したとはいえ、静岡城内は初陣でいきなり本命を倒し、強烈な印象を与えた。センターハーフの大村和一郎(後に横田、故人)は立大―田辺製薬と進み、56年のメルボルン五輪で代表入り。
大村をはじめ、やはり立大の門をたたいた小杉、早大入りした主将の塩沢満ら、実力派をそろえ、実力は高く評価された。(敬称略)