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【静岡の高校サッカー戦後史Vol.30】清水東高サッカー部の“原点”はここに!名将福井半治に導かれ1952年度、県タイトルを獲得

【清水東高①】復活2年目で県を制す

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。

復活2年目、1952年度の3年生メンバー。後列左から3人目が恩師の福井半治


本県を舞台にした1957年(昭和32年)度の一巡目静岡国体で、藤枝東が県勢初の全国制覇を達成。1年後の58年度、今度は清水東が富山国体で頂点に立つ。初出場初優勝の快挙だった。

サッカー部が産声を上げたのは、旧制庵原中時代の1928年(昭和3年)度。だが、清水中に校名変更後の43年度、第2次世界大戦のあおりを受け、活動停止を余儀なくされた。

1951年度、サッカー部が復活

戦後の学制改革で48年度に清水一高として新たなスタートを切り、翌年、現校名の「清水東高」となった。サッカー部が活動を再開したのは、新生・清水東発足2年後の51年(昭和26年)度。復活後の初代監督を務めることになる福井半治(故人)の赴任がきっかけだった。

福井は広島高等師範学校(現・広島大教育学部)出身。サッカー部主将の実績があり、前任校の静岡城内高(現・静岡高)を50年度の全国選手権(51年正月開催)に導いたばかりだった。

そんな福井を、風間嘉明(静岡市清水区在住)斉藤睦(現・小松崎、茨城県日立市在住)らの新2年生が訪れ、サッカー部再興への思いを熱く伝えた。1年前の新入学時、ハンドボールとサッカー部が一体になった「送蹴球部」の門をたたいたが、サッカーは休止状態のため、ボールを蹴る夢を実現できなかったからだ。

国体県予選決勝で静岡城内と激突

こうして、清水東サッカー部が新たなスタートを切った。新生チームは福井の指導を受けて急成長、復活2年目の52年度には早くも国体県予選で決勝まで勝ち上がった。決勝の相手は、福井に率いられて前々年度の全国選手権に出場した静岡城内だった。

福井門下対決ともいえる一戦は、いったん静岡城内が1−1に追い付いた。しかし、清水東は後半、風間の右CKが直接、ゴールをとらえ、2−1で先輩格の静岡城内に競り勝った。風間の決勝弾は左足で繰り出した一撃で、両足で蹴れるように―と特訓に励んだたまものだった。

復活2年目で県を制した清水東だが、東海中部地区大会で上田松尾高(現・上田高、長野)に0−1で敗れ、本大会行きを逃した。県予選で前年度選手権県代表の静岡城内を破った清水東にとっては、よもやの敗戦だった。そろって頭を丸め、髪の毛を会場地の韮崎高(山梨)のゴール下に埋めて帰ってきたという逸話を残した。(敬称略)
シズサカ シズサカ

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