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静岡新聞運動部

【静岡の高校サッカー戦後史Vol.23】藤枝東が漫画「赤き血のイレブン」のモデル浦和南と戦った1969年度国体

【藤枝東高⑭】全国の壁再浮上ならず

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。

試合前、長池監督(手前、故人)から指示を受ける選手たち(1969年度全国選手権から)


1968年(昭和43年)度、藤枝東は再浮上を図るべく、まず広島で行われた全国総体に乗り込んだ。

1回戦は岩見沢東(北海道)を5−1と圧倒した。巻き返しへ上々のスタート、とみえたが、2回戦の初芝(大阪)でつまずいた。前半5分、村松章隆(藤枝市在住)が決めて早々と先手を取りながら、逆にペースを握られ、1−2で逆転負けを喫した。

1968年度、3大大会出場も…

次いで挑んだ福井国体。今度は1回戦で宇都宮学園(栃木、現・文星芸大付)に、0−1で競り負けた。CHだった梅原泰則(茨城県古河市在住)は足のけがを押して強行出場した。終盤、痛み止めが切れて満足に動けず、眼前の選手に決勝弾を決められて「歯がゆい思いでいっぱいだった」と振り返った。

推薦出場した選手権は、再浮上への最後の機会だった。しかし、3回戦で遠野(岩手)に空中戦でことごとく競り負け、0−5で敗れ去った。屈辱の大敗に「えー、と思った」とCFの小長谷喜久男(袋井市在住)。

3大大会に出場した。だが、いずれも早い段階で敗退し、再浮上を期したシーズンは低空飛行のまま、幕を閉じた。

1969年度の長崎総体

翌69年度、新3年生は5人と少なく、その一人の山内清徳(藤枝市在住)は「危機感を持って臨んだ」という。

総体は清水商に代表の座を譲ったが、国体は県予選2回戦で清水商に逆転勝ちすると、そのまま勝ち抜いて長崎県での本大会に駒を進めた。

次年度から選抜制に切り替わることが決まっていたことから、単独校最後の国体王者を目指した。3回戦で宇都宮工(栃木)に苦戦したが、ベスト4まで勝ち上がり、準決勝で浦和南(埼玉)と対戦した。

永井良和率いる浦和南に0−2

この年度の浦和南は、永井良和(後の日本代表)を擁し、漫画「赤き血のイレブン」のモデルになった強力チームだった。この浦和南との一戦は、序盤にあった2度の決定機を逃したのが響き、0−2で敗れた。だが、ここで「このままでは帰れない」と奮起。順位決定戦で韮崎(山梨)を4−2で下し、3位の座を確保した。

意地でつかんだ国体3位は冬の選手権につながり、初陣ながら総体で準優勝した清水商とともに、正月決戦に推薦出場した。しかし、ここでは2回戦で初芝に0−2で屈し、あらためて全国の壁の厚さを痛感させられる。(敬称略)

■1968年度福井国体登録メンバー
大石昭夫
山内清徳
向島秀俊
梅原泰則
白川博司
宮本朝光
岡谷博之
岸真
小長谷喜久男
山本俊夫
村松章隆
渋谷弘治
服部幸夫
山崎秀夫
柳田金男
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