【静岡の高校サッカー戦後史Vol.21】藤枝東が三冠ロードを突き進んだ1966年度、年間成績は68勝3分けの負け知らず!
【藤枝東高⑫】際立つ強さ、初の三冠王
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。三冠ロードを進む1966年(昭和41年)度の藤枝東は、夏の総体で初代王者に輝き、一つ目のタイトルを獲得した。
次いで挑んだのは秋の大分国体制覇だった。県予選は藤枝北、清水東、静岡工といったライバルに競り勝った。本大会は2回戦で盛岡商(岩手)に苦戦した。だが、延長の末、4-2で振り切って本来の姿に戻り、決勝に駒を進めた。
国体決勝の浦和南戦
二つ目のVがかかった一戦。相手は浦和南(埼玉)だった。前半は風上を利して攻め込んだ。7分、井沢千秋(横浜市在住)がFKを直接決めて先制。20、23分に沼野洋一郎(横浜市在住)が立て続けに加点した。後半は風下に回ったが、余裕ある試合運びをみせ、3-0で押し切った。総体、国体と制し、残るは選手権。正月決戦はこの年度から都道府県予選がなくなり、総体と国体の上位校に、推薦出場の全国9地域代表を加えた16校で争われることになった。
「史上初の三冠王なるか」と、注目を浴びながらの参戦だった。重圧の中での戦いとなったが、強さは揺るがず、決勝に進出した。
秋田商との選手権決勝、まさかの…
一方からは秋田商(秋田)が勝ち上がった。57年度に優勝実績のある名門校だが、この時ばかりは専守防衛に出た。藤枝東はこの戦法に手こずった。圧倒的優位に立ちながらもゴールを割れず、再延長の末、0-0のままタイムアップ。大会規定により、両校優勝となった。史上初の三冠王が誕生した。選手たちの顔は涙で濡れた。が、「うれし涙ではなく悔し涙だった」と桑原隆(さいたま市在住)。単独優勝できなかったゆえだった。主将を務めた松永章(東京都府中市在住)は「自分が決めて勝つつもりだったが」と今でも無念さをにじませる。
三冠の原動力は
最後に単独優勝を逃したとはいえ、年間を通し強さは際立っていた。練習試合を含め71戦して68勝3分け。1年間負けを知らなかった。個性派ぞろいのメンバーだった。顧問として監督の長池実(故人)を補佐していた塩沢伸介(静岡市駿河区在住)によれば「よく言い合いをしていた」という。しかし、2年生GKの滝広男(静岡市駿河区在住)以外は、気心の知れた3年生ばかり。試合になると、後に日本代表入りする主将の松永章を中心に見事にまとまった。技術に加え、チームワークが三冠獲得の原動力だった。(敬称略)
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