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静岡新聞運動部

【静岡の高校サッカー戦後史Vol.8】静岡高が1950〜58年、輝かしい第3期黄金期に

【静岡高㊥】近県王者、国体予選で涙

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。

静大工学部主催の近県大会を制した静岡城内=浜松市内


静高サッカー部は、1950~58年(昭和25~33年)を第3期黄金時代と呼ぶ。この黄金期のハイライトは、「静岡城内」の校名でつかんだ50年度の全国選手権出場であり、50年8月に浜松で行われた静岡大工学部主催の近県大会制覇が全国への道を切り開いた。

小田原(神奈川)撃破で自信

全国規模の大会がほとんどなかった時代背景を反映して、有力校が集う近県大会は貴重な戦いの場であり、全国各地域で実施されていた。静岡大工学部による近県大会は、前身の浜松高等工業が主催していたころから静岡、愛知、三重、岐阜、山梨、長野といった“近県”各校の一大目標となっていた。

50年の大会は戦後復活第2回で、20校が参加した。静岡城内は5月の遠征試合で関東ナンバーワンといわれていた小田原(神奈川)に5-1と快勝し、「やれるぞ」との自信をつかんでいた。

決勝で浜松北に1-0

1回戦を圧勝した静岡城内は2回戦で刈谷(愛知)と対戦した。当時の刈谷は名だたる強豪で、優勝候補の一角だった。だが、小田原遠征で自信を得ていた静岡城内は、タイムアップ寸前に決勝ゴールをもぎ取り、2-1で強豪に競り勝った。

これで完全に勢いに乗った静岡城内は、決勝まで勝ち上がり、浜松北と顔を合わせた。県内のライバル対決とあって試合は白熱したが、静岡城内は後半、2年生の大畑稔が決勝のロングシュートを決め、1-0で優勝を飾った。

実はこの決勝弾、破れてできていたネットの穴から外に飛び出したため、静岡城内の選手たちは一瞬、外れたかと思い、喜びを実感するまで間があったという。

無念の国体予選

近県王者の座に就いた静岡城内は、次いで9月の国体予選に挑んだ。県内最大のライバルであった浜松北を退けた直後とあって、当然のように国体出場に照準を合わせていた。

ところが、好事魔多し。PK失敗もあって、2回戦で台頭著しい浜松西に0-1で屈し、全国への道を断たれた。

「悔しくてたまらない。俺達は、近県の覇者ではないか。何故負けたのだろう。先の近県大会で優勝し心に奢りがあり、相手を侮ったのでは無かろうか。ダッシュも動きも悪い。チームワークもずれがあった」

主力の一人であった小杉弘(神奈川県二宮町在住)は、静中・静高サッカー部史に収めた「我が青春のサッカー日記より」の一節で、無念の思いをこう明かしている。(敬称略)

 
シズサカ シズサカ

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