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静岡新聞運動部

【静岡の高校サッカー戦後史Vol.38】 反町康治らを擁し、1980年代前半に訪れた清水東の“黄金期” 

【清水東高⑨】総体制覇 黄金期の序章

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。

8年ぶり2度目の優勝を飾った愛媛総体。表彰式後の記念撮影


1972年(昭和47年)度の全国総体を制し、74年度の全国選手権では初出場ながら準優勝した清水東だが、その後、全国の舞台から遠ざかる年度が続いた。しかし、80年代に入ると再浮上し、一時代を築く。関係者は80年代前半を“黄金期”と表現する。

中部予選7位で「坊主命令」

黄金期はつまずきながらのスタートだった。80年度の総体県中部予選で7位にとどまったのだ。

この結果に、監督の勝沢要(静岡市清水区在住)から「坊主命令」が出た。それまでも何度となく丸刈りにした経験がある選手たちは、今度はプレーで応えたい―と命令撤回を要求。主将の高橋良郎(清水東教)と副将の伊達芳弘(浜松市立教)が代表して、指揮官にチームメートの思いを伝えた。

県大会が始まると、主将の高橋以下、選手たちはピッチの上で思いを見事に体現した。1点差の競り合いが続いたが、粘り強く戦い抜き、決勝では静岡工(現・科学技術)を倒して、7年ぶり4度目の全国総体出場権を獲得した。

真夏の総体は暑さとの戦いでもある。勝沢は「夏を制するためには」と、徹底した走り込みを課し、愛媛県開催の本番に備えた。

8年ぶり2度目の総体制覇

1回戦は前評判の高かった八千代(千葉)を2-0で下し、2回戦は苦しみながらも高槻南(大阪)を4-2で退けた。3回戦は宮城工(宮城)を3-0、準々決勝は韮崎(山梨)を4-2で破り、ベスト4に進出した。準決勝の相手は前年度優勝の水戸商(茨城)だったが、立ち上がりから押し込み、高橋のハットトリックなどで4-0と一方勝ちした。

決勝は今市(栃木)と対戦、開始1分の望月達也(J清水スタッフ)のシュートで早々と先手を取った。しかし、今市の巻き返しに遭って、後半2分に同点シュートを許した。

激しい攻防の中、残り4分、内田一夫(前J甲府監督)―反町康治(J湘南監督)とつなぎ、高橋が仕上げて、2-1で接戦にけりをつけた。高橋は「最後は相手に当たった。オウンゴールかも」というが、値千金の一撃に変わりはない。

地区予選7位からスタートしながらも、8年ぶり2度目の総体制覇をやってのけた。出だしはつまずいたが、「後はずっと上り調子だった」と伊達。高橋も「負けるような気がしなかったのを覚えている」。そこに、はい上がったチームの強さがあった。(敬称略)

【1980年度全国総体決勝先発メンバー】
GK 膳亀信行

DF 奥山靖司
   石垣哲也
   牧田有史
   伊達芳弘

MF    望月達也
   内田一夫
   反町康治

FW    高橋良郎
   沢入重雄
   滝敏晃 
シズサカ シズサカ

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