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静岡新聞運動部

【静岡の高校サッカー戦後史Vol.44】清水東は長沢徹や古賀琢磨らがいた1986年度、再び全国総体へ

【清水東高⑮】悔しさバネに総体切符

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。

山口総体1回戦の対宮崎工。安池(右端)がヘディングシュートで決勝点を挙げる=防府スポーツセンター


やはり、主役を張り続けるのはたやすいことではない。1980年代前半、全国舞台で常に優勝争いを演じた清水東だが、85年(昭和60年)度は総体、選手権とも県予選で姿を消した。

翌86年度の新チームは、まず県新人大会で準優勝し、再浮上に向けて歩み出した。

1年竹沢一弘の決勝点で全国へ

続く戦いの場は全国総体県予選。主力にけが人を出しながらも決勝に進出し、静岡学園と対戦した。互いに譲らなかったが、1年生の竹沢一弘(横浜パルピターレSCコーチ)が決勝点をたたき出し、2−1で7度目の本大会出場を決めた。

決勝で対戦した静岡学園は、新人大会決勝で0−2で敗れた相手だった。その借りを返しての代表権獲得を、主将を務めた長沢徹(FC東京コーチ)は「悔しさをバネにした結果」と振り返る。

山口県で開催された総体本番は、2年ぶりの全国舞台だった。1回戦は宮崎工(宮崎)と対戦、安池由和(静岡スバル)の決勝ヘディングシュートで1−0で競り勝った。

2回戦は室蘭大谷(北海道)を相手に、立ち上がりから攻勢に出た。しかし、決め手を欠き、延長前半に逆襲からゴールを奪われ、0−1で惜敗した。

県予選からけが人続出に苦しみ、満身創痍[そうい]の状態で臨んだ大会だった。特に、中盤の要の塩川哲也(静岡シポレックス工業)はじん帯を傷めた左足が思わしくなく、宮崎工戦に先発しながら途中交代、「何もできず歯がゆかった」という。

「勝沢体制」の最終年、東海大一に敗れる

秋の全国選手権県予選は気持ちも新たに挑み、1次トーナメント、リーグ戦を勝ち抜いて、ベスト8が競り合う決勝トーナメントに駒を進めた。初戦は静岡学園を3−2で退け、続く準決勝は静岡工(現・科学技術)に延長1−1からPK勝ちして、決勝に名乗りを上げた。

決勝の相手は初優勝に燃える東海大一(現・東海大翔洋)だった。塩川も戦列に復帰し、戦力は整っていた。だが、0−0の後半9分に決勝点を奪われ、0−1のまま押し切られた。

東海大一は全国でも快進撃をみせ、初出場初優勝の快挙をやってのけた。その東海大一に敗れ、「総体を含め、勝負の厳しさを教えられた気がする」と長沢は、当時を思い起こす。

86年度は清水東にとって、区切りの年度ともなった。66年度から指揮を執ってきた勝沢要(静岡市清水区在住)が、年度末をもって県教委に転出することになるからだ。(敬称略)
シズサカ シズサカ

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