
【静岡の高校サッカー戦後史Vol.7】静岡高が1950年、全国高校選手権の“初代県代表”に
【静岡高㊤】“選手権”初の本県代表
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。
創部90周年を祝う記念の集いでも、復活を望む声が=静岡市内
全国高校選手権といえば、“選手権”の愛称で呼ばれ、サッカーを志す高校生のあこがれの舞台である。県勢は藤枝東の4回を筆頭に、清水商3回、清水東、東海大一(東海大翔洋の前身)、静岡学園がそれぞれ1回、合わせて10回、頂点に立っている。
ただし、1918年(大正7年)の正月に始まった大会は、ブロック代表制を取ってスタートしたこともあって、県勢は戦後間もないころまでブロックの壁に跳ね返され続けた。
サッカー部第1号
県勢が分厚いブロックの壁を突き破り、初めて出場校の一角に名を連ねたのは、1950年(昭和25年)度=51年1月開催=の第29回大会。記念すべき初代代表校は「静岡城内」だった。前身は静岡中で、後の現・静岡高だ。学制改革により旧制静岡中は「静岡第一」「静岡城内」「静岡」と変遷する。1919年、静岡大教育学部の前身である静岡師範学校にサッカー部が誕生、これが静岡県のサッカー事始めとされている。その1年後の20年、静岡中サッカー部が始動した。もちろん、県内の旧制中学、新制高校サッカー部第1号である。
4期の黄金期
「静岡中学・静岡高校サッカー部史」を開くと、1世紀近い歴史の中に4期の黄金時代が刻まれている。第1期黄金時代は第1、2回の県下中等学校大会を連覇した25、26年。第2期は1939、40年(昭和14、15年)。39年には久々に県下中等学校大会を制し、翌40年には県予選を勝ち抜いて、現在の国体に該当する明治神宮大会への出場権を獲得した。
第3期が50~58年で、選手権への代表権を獲得したのをはじめ、浜松市で開催された近県大会で優勝したり、東京での東日本大会でベスト8に進出したりして気を吐いた。第4期は81~85年。全国への出場権こそ奪えなかったものの、選手権や全国総体の県予選で常に上位に食い込んだ。
ところが、第4期から既に四半世紀たつというのに、黄金時代到来の声を聞かない。2010年10月、静岡市内で開かれたサッカー部誕生90年を祝う集いで、OB会長の山田義弘(65年卒、静岡市在住)は「100周年までに県大会ベスト4、全国大会を目指したい。そのために現役選手を全OBで支えていく」と力説した。もちろん、第5期黄金時代実現に期待を込めて―。(敬称略)


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