【静岡の高校サッカー戦後史Vol.60】風間八宏を擁する清水商業(現清水桜が丘)が1979年度、全国総体で8強入り!
【清水商⑤】OB監督の下 総体8強
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。1974年(昭和49年)度、拓大を卒業したばかりの大滝雅良(当時は川口、静岡市清水区在住)が、母校の清水商に商業担当教師として赴任した。大滝は1年間、コーチを務め、2年目の75年度、恩師の苫米地康文(静岡市駿河区在住)からバトンを受けて監督に就任。以来、指揮を執り続けている。
大滝を母校の指導者に導いたのは、苫米地だった。3年間、大滝を見続けた苫米地は、後を任せる適任者―と判断したのだ。清水商はこのOB監督の下、選手権、総体、全日本ユース(U-18)合わせ12回、ユースプレ大会を含めれば13度の優勝を刻むことになる。
大滝監督「2〜3年で結果を出したく…」
母校に戻った大滝は、厳しい練習を選手に課した。当時の思いを「全国大会に出場するために、他の指導者が10年必要とするものを2~3年で結果を出したく…」と、記念誌「蹴闘[シュート]」で披歴している。母校を率い、監督として初めて全国の舞台を踏んだのは赴任6年目、滋賀県で開催された79年度全国総体だった。主将として臨んだ69年度以来の総体本番、清水商にとっても10年ぶりだった。
県予選は決勝で静岡学園と対戦、6−1と圧勝した。前評判は決して高くはなかったが「大会に入って徐々に調子を上げ、最後に爆発した」と2年生GKだった足立高浩(アダチGKアカデミー)。
この大会は佐野宏光(佐野設備)後藤義一(JFL高崎監督)佐野達(JFL長崎監督)の1年生トリオが先発出場。主将の鈴木章文(静岡市役所)は「1年生が思い切りプレーできるように気を配った」といい、期待に応えて決勝では佐野宏が5得点と大暴れした。
帝京との準々決勝
こうして実現した総体出場だったが、本番を控え、大きな問題に直面した。大黒柱の風間八宏(筑波大監督)が世界ユース合宿参加のため、欠場するかもしれないというのだ。だが、開幕直前に合流許可が出て、辛うじて初戦に間に合った。大黒柱も合流して順調に勝ち進み、準々決勝で帝京(東京)と対戦した。事実上の決勝といわれた試合は、立ち上がりから押し込んだ。しかし前半20分、こぼれ球を押し込まれて失点。攻勢は続けながらもゴールは遠く、0−1で涙をのんだ。
初出場でいきなり準優勝した10年前に続く、決勝進出はならなかった。とはいえ、後の全国制覇に向け、大きく踏み出したことは間違いない。(敬称略)
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