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(寺田)パラ陸上の世界選手権がパリで行われています。パラリンピックの実施種目で4位内に入った選手の国・地域が来年のパリ・パラリンピックの出場枠を獲得します。
ちょうどよい機会なので、今回はパラスポーツの全体のことをお話します。これまで「静岡はサッカーや陸上、水泳が強かったんだよ」という話をしてきましたが、実は「王国」に一番近いのはパラスポーツなんですね。
1964年東京パラで選手宣誓を務めたのは、なんと…
(寺田)歴史を紐解いていきます。パラリンピックは、イギリスで脊髄損傷した軍人の方々のリハビリとして行われたアーチェリー大会が始まりです。パラリンピックとして形が整ったのは1960年で、1964年の東京パラリンピックは実は第2回大会でした。「日本の障害者スポーツの原点」と言われています。
そこでなんと、選手宣誓を務めたのが掛川市の青野繁夫さんという方でした。青野さんは第2次世界大戦で中国で銃弾を受け、脊髄を損傷してしまい、車いす生活を送っていました。東京大会では競泳50メートル背泳ぎと、フェンシング団体で銀メダルを取りました。
私は以前、青野さんの奥様に直接お話を聞き、東京パラ当時の写真などを見せてもらったことがあります。今でこそ共生社会と言われていますが、障害者の社会福祉がまだまだ未成熟だった時代、青野さんはこんな手記を残していました。
「私は健全ならざる体にも、立派な健全な精神が宿ることを証明したい。その気持ちでいっぱいでした」と。
県勢のレジュエンドたち
(寺田)パラリンピックの「日本のレジェンド」と言えば河合純一さんです。今、日本パラリンピック委員会の委員長を務めている方で、ご存知の方も多いと思います。浜松市西区出身で競泳の選手でした。全盲で目が見えないのですが、中学の教員を務められ、1992年バルセロナ五輪から2012年ロンドン大会まで6大会連続でパラリンピックに出場。金メダル5個、計21個のメダルを取っています。
2021年東京パラリンピックでは、静岡県勢が11競技に15人も出場して、金メダルを6個取りました。県勢のメダルは全部で13個。日本全体でも金メダルは13個で、その半分は県勢でした。
(山田)すごかったですねえ。
(寺田)自転車女子の杉浦佳子選手(掛川西高出身)は当時50歳で、日本人の金メダリスト最年長記録を更新しました。
車いす陸上の佐藤友祈選手(静清工業高出身)は2個の金メダル。そのほか、競泳男子の鈴木孝幸選手(聖隷クリストファー高出身)、ボッチャの杉村英孝選手(伊豆介護センター)も金メダルを取りました。
(山田)まさにパラスポーツ王国。杉村さんのプレーを見て、ボッチャってこうやってやるんだっていうのを勉強しました。
「魅せるアスリート」を体現する選手は…
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(寺田)陸上男子走り幅跳びの山本篤選手(掛川西高出身)もご存知の方が多いと思います。「魅せるアスリート」を体現していて、パラスポーツのアスリートとしてプロ契約している選手なんですよ。
同僚が東京パラリンピック前に取材したとき、山本選手は高級外車のジャガーに乗っていたそうです。「パラ選手ってかわいそう」という見方ではなく、「格好いい」というふうに社会からの見方を変えたいんだと。
(山田)山本選手と一度一緒になったときのことです。山本選手は自分の義足をわざと体育館にゴロゴロ置いていました。子供たちは「えー、何これ。足があるぜ」と。
山本選手は「これ、実は僕の足なんだよ」って言って装着するところもちゃんと見せてあげていました。これが、パラスポーツの教育なんだなと。格好良かったなあ。
(寺田)山本選手は高校生の時にバイク事故で左足の太ももから下を切断しました。それから陸上を始めて、2008年北京パラで銀メダル、16年リオで銀メダルを取っていますが、それだけじゃないんですよ。18年の冬季大会にスノーボードで出場。トライアスロンとかゴルフにも挑戦してるんですね。
(山田)すごいですね。本当にチャレンジ精神を学びたい。
(寺田)お話を伺ったとき、「足を切断した時は本当に絶望したんだ」と。絶望したんだけれども「自分の人生は自分でしか切り開けない」と考えて、光が見えたっていうんですね。そういう自分の体験を伝えていきたいという思いで、スポーツに取り組んでるんですよね。
今41歳。引退も考えなきゃみたいなことを言っているようなんですが、もう一花咲かせてほしいと思っています。
新星の登場に期待
(寺田)一方、新星の誕生、世代交代にも期待がかかるところなんです。静岡県障害者スポーツ協会などは、県内パラアスリートの発掘や育成に取り組んでいます。まず、どの競技が向いているかを探ってもらうため、いろんなスポーツ体験をしてもらおうとしています。パラスポーツには障害の程度などによるクラス分けがあって、どこで自分が活躍する可能性があるのかということも重要になります。
また、東京大会からのレガシーをつなごうと、官民連携組織の「ふじのくにパラスポーツ推進コンソーシアム」を発足させようと準備しています。民間も一緒になった、他県にも先駆けた動きで、ぜひ注目していきたいなと思っています。
(山田)どうしてもパラリンピックのときだけ注目して「わあ、すごい」で終わってしまうことが多い。そうじゃなく、日常の中で、普段からみんなで応援しようぜっていう流れがほしいですよね。
(寺田)障害者スポーツ協会の幹部の方に伺うと、「パラリンピックのメダルが全てじゃない。トップ選手の育成支援体制を維持することも大事なんだけれども、障害の有無に関わらず、誰でもスポーツができる環境を作ることが重要なんだ」と。まさにコンソーシアムも、そういうところを目指しているんですね。
(山田)ぜひ車いすバスケとかの体験会に参加していただきたい!。車椅子に乗ったときに選手のすごさが、よりわかるんですよ。
これをあれだけ細かく動かして、あれだけのスピードで走らせているんだと。本当に彼らはトップアスリートなんだなということを実感しますね。
(寺田)東京パラの後、パラスポーツの体験会が県内の小・中学校で継続的に行われています。ブラインドサッカーや車いすラグビー、車いすバスケとか。
ウォーキングフットボールというのもあるそうなんです。要するにスポーツは、ルールを工夫すれば障害に関係なく楽しむことができるんですよね。
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「ともに」の精神
(寺田)山田さんは、五輪憲章というものがあるのをご存知ですか。この五輪憲章のモットーは「よりはやく、より高く、より強く」。そして実は、2021年にさらに一言加わったんですよ。(山田)何が加わったんですか。
(寺田)「トゥギャザー(ともに)」。
スポーツには多面性がある、多様な価値があるということを、いつもこの場でお伝えしています。共生社会の礎をスポーツから作っていけたらいいなと思っています。
(山田)パラスポーツをそういった切り口で見る。みんなで一緒に楽しむ、ってことですね。今日の勉強はこれでおしまい!