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登呂遺跡発掘調査 汗と愛の出納簿 逝去の考古学者大塚初重さん 博物館に寄贈、一部は展示も

 戦後の考古学をリードし、21日に95歳で永眠した明治大名誉教授の大塚初重さんは、学生として参加した登呂遺跡(静岡市駿河区)の発掘調査(1947~50年)で出納記録を担当した。大塚さんがつけた帳簿が2016年、敷地内の登呂博物館に寄贈されていたことが26日、同館への取材で分かった。

大塚初重さんが記録した登呂遺跡発掘調査の会計帳簿=静岡市駿河区の登呂博物館
大塚初重さんが記録した登呂遺跡発掘調査の会計帳簿=静岡市駿河区の登呂博物館
登呂のムラ長として貫頭衣姿で見学者に説明する大塚初重明治大名誉教授=2000年8月、静岡市駿河区の登呂遺跡
登呂のムラ長として貫頭衣姿で見学者に説明する大塚初重明治大名誉教授=2000年8月、静岡市駿河区の登呂遺跡
大塚初重さんが記録した登呂遺跡発掘調査の会計帳簿=静岡市駿河区の登呂博物館
登呂のムラ長として貫頭衣姿で見学者に説明する大塚初重明治大名誉教授=2000年8月、静岡市駿河区の登呂遺跡


 帳簿は1949、50年度分。「科学研究交付金 ○○銀行△△支店に入金 100万円」「賃金 (氏名) 175円」「パンク修理 20円」など、日々の出納が細かい字で記録され、当時の食料事情や物資不足もうかがえる。来客対応や水分補給にほうじ茶を飲んでいたらしい。
 同館によると、出土した遺物同様に発掘史をひもとく貴重な資料だという。同館は当時の領収証なども保存し、一部は常設展示している。
 大塚さんは再発掘調査(1999~2003年)で調査整備検討委員会の会長を務め、「登呂のムラ長(おさ)」を快く引き受けて情報発信にも尽力した。帳簿寄贈に当たり「これは登呂博物館にあるべきだとおっしゃった。終生、登呂遺跡を気にかけてくださった」と当時の市文化財課長の岡村渉さんは追悼する。
 組織的かつ学際協力的に行われた登呂遺跡発掘は大塚さんの「発掘人生」のスタートだった。自伝「土の中に日本があった」(13年)で「空腹と酷熱と重労働との戦い」の発掘作業を振り返るとともに、新しい時代への高揚感を懐かしんでいる。「学問的な研究成果だけではなく、戦後の日本社会や日本人に、真実の歴史を探る視点・方向性について目を開かせた」と意義を説いた。
 登呂遺跡は弥生時代後期の農村集落。住居と水田が一体として出土した。1952年、国の特別史跡に指定された。
 (編集委員・佐藤学)

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