論説委員 佐藤学
さとう・まなぶ 1987年入社。取材記者(支局は松崎、藤枝、磐田、掛川)、整理記者、デスクを経て、2014年から論説委員。社説は頭を冷やして、大自在は心を温めて。
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時論(4月24日)「伝わる文章」を書きたい
伝えたいことが伝わっていないことがある。見出し(タイトル)がないためだろうか、1面コラム「大自在」の担当回で指摘されたこともある。 読み方の問題だとスルーせず改めて読み返すと、伝える力不足に気付かされる。そんな時、図書館で「伝わる文章」と表紙にある本に出合えば、思わず手が伸びる。 例えば、向後千春早大教授の「伝わる文章を書く技術」。表紙に「まずは200字から」「型にはめれば、必ず書ける」。半信半疑で開くと、思い当たることばかり。「交流サイトで短いメッセージしか書かないから文章を書く力が落ちる」に同感。「文章を書くと人生が変わる」というのは大げさではないと思う。 この本はコラムやブログの
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D自在(4月15日)湖西市が全国シェア8割、コデマリの物語
もしここに暴君が現れてすべての書物を取り上げ、1冊だけ許すと言ったら、どの本を残すか―。 「二十四の瞳」で知られる小説家壺井栄(1899~1967年)は、こう夫に問われて即座に牧野富太郎博士の「植物図鑑」と答えた。図鑑から得た知識を知識にとどめず、自分の経験と生活の中に溶かし込んで、花の物語を紡いだ(「わたしの花物語」解説)。 花の名をタイトルにした一連の掌編から「こでまり」(55年)を読んでみた。結核療養所を退院するまでに回復した女性がコデマリの花束を持って訪ねて来る。主人公がこの女性を療養所に見舞った時に持って行ったのがコデマリと赤いカーネーションの花束だった。作中の会話に病への不安
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時論(3月24日)後継ゾウ問題は皆で考えたい
江戸中期の享保14(1729)年、8代将軍徳川吉宗に献上されるオスのゾウが長崎から江戸まで歩いた。梅雨時で大井川は増水し、大勢の川越え人足が上流で肩を組んで流れを和らげたという。 ゾウは10年ほど浜御殿で飼育されたが餌代がかさみ、成長して気性も荒くなったため幕府にとってお荷物になった。ゾウのふんを薬として売っていた男に金を付けて引き取らせたが、ゾウは2年もせずに息絶えた。象牙は近くの宝仙寺(東京都中野区)に納められた。 異国に連れて来られ、長い距離を歩かされ、好奇の目にさらされ続けたゾウを思うと胸が痛む。 静岡市立日本平動物園は、高齢ゾウの後継を海外から迎えることを断念すると市議会2月
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【D自在】玉露を「しずく茶」でおいしく
もちろん、わが家には急須がある。驚くことに、それは〝少数派〟らしい。静岡県が昨年度首都圏で行った調査に、自宅に急須があると回答した人は34%(男性の26%、女性の42%)に過ぎなかった。50代は男性の41%、女性の60%。20代は男性の18%、女性の26%。想像以上に「お茶っ葉離れ」は進んでいる。 日本茶の王様とも呼ばれる高級茶が玉露だ。自分でいれたことはなかったが、静岡茶市場(静岡市葵区)が先月開いた「茶いちばまつり」で急須を使わない玉露のセルフ試飲を体験した。茶葉は注ぎ口のある小皿に盛られ、湯ざましに入った湯と杯くらいの湯飲みとともに黒い盆に載せられて運ばれてきた。低温の湯を一度湯飲み
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時論(3月8日)ウェルビーイング 具現した人
字面で分かったつもりになり、分かったふりをして、恥ずかしい思いをすることがある。そんな言葉は、使うのをためらう。例えば「ウェルビーイング」。「幸せ(ハピネス)」より広く深いということは感覚的に分かるのだが。 経済協力開発機構(OECD)が示すウェルビーイングの3要素の一つに「人生における意義と目的意識」とあり、分かったような気がしてきた。これまでの「身体的・精神的・社会的に良い状態」という説明に感じていた物足りなさが解消されそうだ。 そして、この人が頭に浮かんだ。「魂の俳人」村越化石(本名・英彦、1922~2014年)。きょう3月8日が命日、没後10年である。 ハンセン病を患いながらも
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時論(2月25日)茶行政も「イノベーション」を
静岡県議会2月定例会に上程された2024年度予算案の茶関連事業に、物足りなさを禁じ得ない。生産も流通も日本一の「茶の都」の持続化は難題だが、突破に挑む主体性と気概が伝わってこない。 新味がないのである。主要事業として、浜松市が会場になる第78回全国お茶まつり、25年度開催の第9回世界お茶まつりが挙げられた。「情報発信」「消費拡大」の必要性に異論はない。だがいったい、いつから使われてきた言葉か。こう書く側も、大規模イベントのたびに「一過性に終わらせるな」と常とう句を繰り返してきたが。 この30年ほどで県内茶園は半減し、茶農家は4万戸から6千戸に。リーフ茶の価格低迷から製茶出荷額も500億円
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【D自在】「国消国産」進むブロッコリー
「君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ」(光孝天皇)。率直な思いやりの気持ちに好感が持てるという人も多いのでは。若菜は春の七草のことか。7種のうち、ナズナ、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)がアブラナ科である。 春に十字花をつけるアブラナ科の野菜はキャベツ、白菜、小松菜、チンゲン菜、ワサビなどがある。多くは花が咲く前に収穫するので「菜の花」とは結びつきにくい。かつて菜の花と言えば菜種油を取るアブラナのことだった。灯火が石油や電力に移行して、蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」や唱歌「朧月夜(おぼろづきよ)」の歌い出しの風景は日常から遠いものになった。 近年、存在感が高ま
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時論(1月28日)なぜ「カネ」と片仮名表記か
新聞用字用語集の見出し語「かね」には金遣い、金づるなどの用例が並ぶ。そこには「片仮名書きしてもよいが乱用しない」と注意書きがある。扱いとしては「政治とカネ」は特例というわけだ。 政治資金パーティー裏金事件で自民党の「政治刷新本部」がまとめた中間報告は「カギは『お金』と『人事』から完全に決別」とした。これを各紙は見出しなどで「カネとポスト」などと報じた。 片仮名を使う「政治とカネ」は既に慣用句と言っていい。 日本語は初め、漢字で音を表した。この万葉仮名を崩して書くうちに平仮名が生まれた。片仮名は、読みにくい漢文を読むために漢字の一部を記号化してできた。そう、文字は記号なのだ。 日常生活
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【D自在】竜は架空の動物なのに
黒雲を巻き上げながら富士山を越え天高く昇っていく竜。「富士越龍(ふじこしのりゅう)」は江戸時代後期、葛飾北斎の最晩年の肉筆画で絶筆に近いとされる。90歳と長寿だった北斎が自分自身を映したという評もある。 2024年の干支(えと)は辰(たつ)。霊峰に昇り竜という絵柄に、所蔵する「北斎館」(長野県小布施町)には昨年末、多くの問い合わせがあったという。 神社の大絵馬に、島田市大代のジャンボ干支に、竜のイメージは共有されている。怪獣映画のゴジラシリーズに登場するキングギドラも、3本の長い首から上は竜にしか見えない。胴体や翼は西洋のドラゴンを想起させる。竜は聖なるもの、ドラゴンは邪悪なるものと、
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時論(12月19日)自由に書くため自由に考える
作文の授業で先生に「自由に書きなさい」と言われて戸惑ったという高校生の投書を16日付本紙「読者のひろば」で読んだ。それを逆手にとって「自由」をテーマに書いた頭の柔らかさに感心した。 「泳ぎは溺れながら覚えるもの」と言われるが、例えだとしても乱暴だ。絵でも運動でも、何にでも得手不得手や巧拙がある。苦手でも嫌いにならない、させないことが大切ではないだろうか。 この生徒は、自分たちの世代はなぜ自由に文を書くことが苦手なのかを考え、「決まったことを決められたようにやることが重視され」ていることに着目した。そこまで考えたから、読み手の心に届く文章にまとまった。自由に書く難しさを乗り越えられた。